生きる意味を失ったら
朝、ぼーっと起きられる幸せ。冷や汗や暗い気持ちでなく。また一日耐えなければとうつむくこともなく。
一方で、かつての私がそうであったように(あるいは未来の私がそうなるかもしれない)、生きがいが感じられず試練ばかりが浮かぶ暗黒の朝を迎えている人もいる。
そういうとき、何故と問うてもほぼ答は見つからない。それどころか、問えば問うだけ自分を責めさいなむ方向へ傾斜する。「もっと努力すれば」「どうしようもないのだから我慢したら」「自分で選んだことなのだから」「何故生まれてきたの」「何故死んでしまったの」……
少し安心・安全な状態でいられる今のうちに、うちひしがれていた頃の私に、そっとささやいてみよう。「充分、努力したし、我慢もしたよ」「道は他にもあるよ」
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生まれてきた貴方と私
おなかから出たかったんだよね
心地よいけれど窮屈になって
広くて明るくて息のできるところへ
貴方と出会って
貴方と暮らして
そして
貴方を喪った
泣き叫ぶこともできない
“こんなことなら貴方に出会わなければ良かった”
いいえ、私から貴方との日常が消えることはない
こんなにも人を愛せたのだ
この愛を育んでくれた貴方に
私は感謝しよう
哀しみは去らないけれど
私は私だけを見つめ過ぎず
木や花や風を感じて
暮らしていきましょう
そして
そっと貴方と