夜明け前 どこにいるのか
ベッド、居間のソファ、ファミレス、キッチン、多摩川の堤防、マクドナルド、ベランダ……。
だいたいそんなところにいたことがある。
家の外で夜明けを迎えるときは2種類あって、終電逃したか、あるいは目が覚めたので朝の空気を吸いに外に出たか。
物語は色々で、思い出したくないものから、爽やかな気分にはなれる夜明け後の話まである。
家の中の場合は、身体を休めてられるが、気持ちがグルグルしていることが多い。だいたいは将来のことを考え過ぎて落ち込む。何でも過ぎるのは良くなくて、どうなるかわからないことに対して心配したり嘆いたりすることはないのだけれど、つい考えてしまう。そうすると、芋づる式に想像は妄想に発展し、私はすこぶるへこたれるのだ。
この頃は、そういう自分の傾向が客観的にわかるようになったので、「過心配、来てるよ」といったん止められるようになってきた。知恵がついてきたのであろうか。というよりは、考えるエネルギーがなくなってきたように思う。止めたからといって、それで即座にスッキリはできないけれど、「まっいいや。その時が来たら考えよう。今できることはないし」と思える。
静かな時間はホッとする。ほとんどの人が身体を休めていて、誰かを攻撃したり、蔑んだりしてない。そんなことを思うのって、やっぱり疲れているのかな。