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【本の記録・感想】欠落と再生

村上春樹色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』読了。

ごく親しい間柄だと思っていた相手からの突然の拒絶は、今までの自分が崩壊するんじゃないかというくらいショックな体験だろう。しかも、その理由が明らかにされないままであれば、ボディーブローのように身体とこころを蝕んでいく。

多崎つくるは少しずつ傷をふさぐことで正気を何とか保っていった。そして時が経ち、つくるは過去と向き合う決意を固める。透明な存在だった多崎つくるが色彩を纏うことはできるのか。


色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年


村上作品の主人公たちには、理不尽に損なわれても簡単には折れない「しなやかなしぶとさ」がある。冒険小説の主人公のような強靭なタフさでなく、ハードボイルド小説のそれのようにワイルドでもない、弱いが故の知恵というか、暮らしの一つひとつのくだりをきちんとこなしていくことで乗り切っていく種類の強さがある。

多崎つくるの抱えた欠落は他の誰かの欠落につながっている。皆、何かしら欠落を抱えていて、それを探しながら生きているんじゃないのだろうか。人が人を求めるのは、共通する欠落を認め合い、補い合いたいためかもしれない。

村上作品を読み終わると不思議に心が安らぐ。「それでも暮らしは続いていくし、あなたはそれを淡々と生きていけばいい。楽しんでもいい、もちろん」と背中にそっと手を置いてもらえたような感触を得るからか。

人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものなのだ。

この作品の主旋律は、フランツ・リスト『ル・マル・デュ・ペイ』。田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない哀しみという意味。『巡礼の年 第一年(スイス)』の8番目の曲。主人公はいつもベルマンのピアノで聴いている。

リスト:巡礼の年(全曲)

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