kai8787の日記

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恋の話

今は激しい恋よりも静かな恋がしたいな。別に忍ぶ恋というわけじゃなくて、ぼっと燃え上がるのでなく、穏やかな光のような淡い恋。

奪うんじゃなくて、そっと寄り添って歩き、何も話さなくてもずっと二人でいられるような恋。

胸のなかにほんわか暖かいものが灯っているような優しい恋。

オスカー・ワイルド『小夜啼き鳥と薔薇』に出てくる小夜啼き鳥は、恋する青年の望みを叶えるために、胸にトゲを刺しながら歌い続け、深紅のバラをつくり出して命を落とす。何故なら「恋は、哲学よりいっそう思慮に富み、権力よりいっそう力強い」と信じていたから。

ここから結末を書いてます
青年は小夜啼き鳥のことは最後まで知らない。バラさえあれば彼女とつきあえると思っていた青年はあっさりふられてしまう。そして恋などくだらないとうそぶく。

幸福な王子/柘榴の家 (古典新訳文庫)

幸福な王子/柘榴の家 (古典新訳文庫)

※『小夜啼き鳥と薔薇』はこの本の2つ目の物語です。

バラ1本で彼女の心を得ると思う、「思慮深い」とはいえない青年の恋を、小夜啼き鳥は何故命を落としてまで後押ししたのだろうか。恋に恋してしまったのかな。とても切ない。

そういえば、少し前に読んだ小説にこんな一節がある(平野啓一郎『マチネの終わりに』より)。

なるほど、恋の効能は、人を謙虚にさせることだった。年齢とともに人が恋愛から遠ざかってしまうのは、愛したいという情熱の枯渇より、愛されるために自分に何が欠けているのかという、十代の頃ならば誰もが知っているあの澄んだ自意識の煩悶を鈍化させてしまうからである。

愛されるために引き受けなければならない「煩悶」は、自分を見つめる純真な問い。恋を実らせるのに必要なのは、「私なんか」を乗り越える少しの勇気とバイタリティー。

そういうものが私には欠けているなぁ。人間と深くつきあうことに恐怖心があるとまでは言わないけれど、どうも一人の人にそこまで思い詰められないというか……やっぱり「澄んだ自意識の煩悶」に耐えられないのだろうか。それ以前に「澄んだ自意識」がもはや持てないのかも。つまり、純粋さがない⁉

んー、海に行って波の音を聴きたくなってきた。

マチネの終わりに

マチネの終わりに

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