微妙な距離ー男女の友情そして恋
男と女の友情には、ほどよい距離感が必要だと思う。性的にドライなところがないと続かないのは当たり前として。相手の異性を感じない程度の距離感。二人でお酒を飲んだとしても、「じゃあな」と別れるくらいのさっぱりした関係。
絲山秋子『沖で待つ』のなかで、主人公は同期入社の「太っちゃん」と、お互いに人に知られたくない秘密がばれないよう、自分が死んだあとに証拠を消去し合う申しあわせを交わす。
約束をする前に「太っちゃん」は別の同僚と結婚していたし、二人は転勤して他の場所で働いていて、しばらく経っての二人飲みの席でのことだった。
何故そんな協約を結んだかというと、お互いにそこまで相手に興味がないはずで、中身を見ないという信頼感が持てるから。
このくらいの距離感があると、友情って成立するのかもしれないなと思う。でも、それが秘めたる恋心に変わるのはほんの1cmのことかもしれない。友だちから恋人へ、恋人から友だちへ、人の気持ちはうつろうものだ。
思えば、恋というのは不思議な現象である。いったい何が発火点になるのか、さっぱりわからない。あの人のここがいいとかっていうのは、後からくっつけた理由で、好きになる瞬間はもう凄く感覚的なものなのだ。だから、どんな欠点があっても何だかんだと突き放せなくなる。それは友だちも一緒か。
恋はもう究極の妄想なのだ。理屈じゃなくて、落ちちゃうもの。ブレーキが効くか効かないかはあるけれど。
恋を秘められるようになったら、大人なのかもしれませんね。
- 作者: 絲山秋子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2009/02
- メディア: 文庫
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この本には、他にも「勤労感謝の日」という短編も載っている。36歳、独身、無職の女性のとある「いーことなんかあるわけないじゃん」な一日を切り取っていく。主人公の心のなかの軽妙なツッコミがおもしろかった。