kai8787の日記

編み物と散歩と読書とダイエット

たまにはこういうこともある。

詩人というと、通常と異なる人種のように思われるだろうか。私には、詩を書く友人が複数いる。詩のなかでは激しく逸脱するけれど、普段の会話はとりたてて変わったところはない。当たり前に挨拶するし、冗談も言い合う。

ある程度の繊細さは持っているだろう。言葉に対する感覚も鋭敏だと思う。ただ私は、人間はみな、どこか狂っていると思っているからか、詩人が際立って変り者だとか無頼とは思わないのだ。


ねじめ正一荒地の恋』に出てくる田村隆一と、その妻と恋に落ちる北村太郎は実在した荒地派の詩人である(ちなみに著者も現代詩人)。物語の始まりでは、二人は五十代前半。

田村は妻・明子と北村の関係を知りながら、北村には面と向かって何も言わない。家に北村を呼んで明子と三人で仲良く飲んだりする。北村の方も呼ばれれば行くし、特に謝るわけではない。かといって結婚制度を否定するような信念があるわけでもない。登場人物のなかで、一番素直に感情表現できているのは、何の躊躇もなく浮気を打ち明けられて逆上する北村の妻である。

北村はそんな状況のなか、妻をなだめるため添い寝して頭を撫でながら寝かしつけたりする。その一方、今までになく詩をたくさん書く。北村がそれまであまり詩が書けなかったのは、まっとうな家族との暮らしがあったためだという意味の記述があって、私は少しあきれる。

前半はそんなふうに、ところどころ引っかかって物語世界に没入できなかった。

なんというか、詩人なんだから感じたまま突っ走って当たり前だ、仕方がないといわんばかりに、北村の田村に対する後ろめたさも(あるいは刺されても仕方ないという覚悟も)、家族を捨てるときのためらいもほとんど描かれておらず、事実の羅列に終始していて、物語の奥行きが感じられない。

後半になると北村の心象風景が徐々に結ばれてくるが、田村に関しては本人が登場する場面が全くない。そして、相変わらず、さしたる葛藤もなく別れたり新たな恋に落ちたりしてるという印象が拭えない。人を好きになるという熱い情念とか狂おしいほどの苦悩が今一つ伝わってこないのである。

また時を経て読んだなら、違う感じ方もできるだろうか。私の虫の居所でも悪かったのかなぁ。

小説を書くというのは大変なご苦労があると思うので、本当に申し訳なく思う。ねじめ正一さん、ごめんなさい。


荒地の恋 (文春文庫)

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この小説は、豊川悦司主演でドラマ化もされているので、ドラマの脚本や演出でどう変わっているのか、見てみたい気もする。

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