反応するところも感動もこんなに違っちゃう
いつ読んでも限りなく切なくなる物語がある。J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』もその一つだ。16歳のホールデン・コールフィールドと妹フィービーの会話のところで、いつもじーんとなってしまう。ホールデンが将来なりたいものについて語るシーン。
だけど村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』では、何故かじーんが来なかった。何が違うんだろう。単に翻訳の違いなんだろうか。
なんというか、野崎孝訳のホールデンのイノセントさが村上訳にはあまり感じられず、どちらかというと少しわがままな良家のお坊っちゃん的要素が加わってしまって、野崎訳で感じた反抗心とか繊細な反発みたいなニュアンスとリズム感が欠落しているようなのである。
自分の内面が変化したのかもしれないが、こうもきれいさっぱり感動がないとポカンとしてしまう。ちょっとこれは、あまりにとっかかりがなくて、自分を見つめ直すまでいかないかなぁ。感性が年老いたのだろうか。
村上訳は読み易い。読む順番が違ったらまた感動も異なるだろうけど、野崎訳のドライブ感で書かれた『ライ麦畑でつかまえて』でやられちゃった体験を持つ私には、やっぱり村上訳は違和感があって、今後もし読み返すとしたら、正直に言って野崎訳かな。
ただ、ホールデンが慕うミスタ・アントリーニのセリフには、村上テイストがよく合っていたように思う。
「君が今はまりこんでいる落下は、ちょっと普通ではない種類の落下だと僕は思うんだ。恐ろしい種類の落下だと。落ちていく人は、自分が底を打つのを感じることも、その音を聞くことも許されない。ただただ落ち続けるだけなんだ。そういう一連の状況は、人がその人生のある時期において何かを探し求めているにもかかわらず、まわりの環境が彼にそれを提供することができないという場合にもたらされる。あるいは、まわりの環境は自分にそれを提供することができないと本人が考えたような場合にね。それで人は探し求めることをやめてしまう。つまり、実際に探索を始める前に、あきらめて放り出しちゃうんだ。私の言っていることはわかるかい?」
まぁ、とても村上春樹的な言いまわしなので、好みは分かれるところだと思う。
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村上訳
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