kai8787の日記

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社会の断片として

社会学というと、ちょっと、とらえどころがなく、広範囲な学問という印象がある。研究の仕方も色々ありそうだ。ただ、以前から面白そうだなとは思っていた。

岸政彦『断片的なものの社会学』は、様々なエッセイで、多角的に社会の有り様を呈示してくれる。

社会学を研究するやりかたはいろいろあるが、私は、ある歴史的なできごとを体験した当事者個人の生活史の語りをひとりずつ聞き取るスタイルで調査をしている。

本書では、著者が社会調査しながら考えてきた事柄を丁寧に書き起こしていく。

こうした断片的な出会いで語られてきた断片的な人生の記録を、それがそのままその人の人生だと、あるいは、それがそのままその人が属する集団の運命だと、一般化し全体化することは、ひとつの暴力である。

この社会学への眼差しの確かさが安心感を与えてくれる。分析することと、決めつけることは紙一重なのだ。

社会のひとひらとして生きていくしかない私が、この本を通して、岸政彦という社会学者の暮らしや思いの欠片を読み、共感したり違和感を持ったりすることにどんな意味があるんだろうか。

意味などないかもしれないけれど、読書というのは、私の狭い世界をほんの少し拡げてくれる。そして、この本は内向していた気持ちを外に向けてくれた気がする。

なにかに傷ついたとき、なにかに傷つけられたとき、人はまず、黙り込む。ぐっと我慢をして、耐える。あるいは、反射的に怒る。怒鳴ったり、言い返したり、睨んだりする。時には手が出てしまうこともある。
しかし、笑うこともできる。
辛いときの反射的な笑いも、当事者によってネタにされた自虐的な笑いも、どちらも私は、人間の自由というもの、そのものだと思う。

私は、どうしようもなく悲しい笑いを知っている。自由というものを手放さざるを得ないときの寂しい笑い。それでも、それは、非常に人間的な笑いとして立ち上がってくる。

少し思い出して怖くなってしまった。あはは。アホな私。

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学