書くことで失われるもの
フランツ・カフカは迷う人である。本を出したいと思いながら、出版が決まりそうになるとやっぱり出したくないと思ったり、結婚を申し込んだ女性から承諾されると、自分がいかに結婚生活に向いていないかを延々と手紙に書くといったぐあいに。
迷い続ける=決断できないというのは、一見短所のように思うけれど、それは妥協しない強さでもある。
頭木弘樹『カフカはなぜ自殺しなかったのか?弱いからこそわかること』では、カフカの手紙や日記を年代順に追いながら、死にたいと苦しみながらも自殺未遂も起こさずに生き抜いたカフカの人生を振り返っていく。
カフカが持ちこたえたのは、書いていたからというのもあるんじゃないだろうか。特に手紙は、恋人に対して毎日書いていたようだ(そして少なからず彼女からの返信もあった)。日記が小説のきっかけになることもあり、彼の才能を信じて後押ししてくれる作家の友人もいた。
こう書いてしまうと、あっけなく終わってしまうが、カフカの苦悩は深い。例えば、本に対する思い。
本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。
そしてまた、「書く」ということについての覚悟を綴ったこの文章。
このところ、ぼくは自分についてあまり書きとめていない。多くのことを書かずにきた。それは怠惰のせいでもある。
しかしまた、心配のためでもある。自己認識を損ないはしないかという心配だ。この心配は当然のことだ。というのも、書きとめることで、自己認識は固まってしまう。それが最終的なかたちとなる。そうなってもいいのは、書くことが、すべての細部に至るまで最高の完全さで、また完全な真実性をもって行われる場合に限られる。
それができなければーーいずれにしてもぼくにはその能力はないーー書かれたものは、その自律性によって、また、かたちとなったものの圧倒的な力によって、ただのありふれた感情に取って変わってしまう。そのさい、本当の感情は消え失せ、書かれたものが無価値だとわかっても、すでに手遅れなのだ。
書くことで失われるものの大きさをカフカは知っていた。言葉にした瞬間、選びとらなかったものたちが消え去ってしまうことを。
ここに、カフカが死ぬ瀬戸際まで行きながらも、死なずに追い続けた創作への厳しさを垣間見るのである。
- 作者: 頭木弘樹
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