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kai8787の日記

編み物と散歩と読書とうさぎさん ̄(=∵=) ̄

孤独にも型があるのだろうか。

つぶやき ぼっち 本の記録・感想 気づき

感情ってどこから生まれてくるんだろう。例えば、母性愛なんかは子どもができたらごく自然におこるって思っていたんだけど、この本のなかで話し手たちはそれと違う意見を持っている。

内田樹×名越康文×西靖『辺境ラジオ』は、ラジオ放送を書き起こした本なのだが、精神科医名越康文は次のような発言をしている。

実は「自然に愛情が湧いてくる」とか「親子なんだから情は通い合うもの」という考えは絶対に違う。そうではなくて、ある「型」にはまる、もしくは「型」を演じることで、初めて内発的なものが生まれる。

思想家の内田樹もこれに同意する。「感情は外部から入ってくる」と。

つまり、親という「型」を演じていると感情が後からついて出てくるというわけだ。茶道など「型」のある儀式的なものをやると、自然と気持ちが落ち着いてくることがある。そんなことなのかなぁ。

今日、私はふと孤独を感じたのだけども、それにもやはり型みたいなものがあるんだろうか。家で一人でいて、何をする気も起きず、自分自身に目を向けるという「型」。あるいは、仕事帰りの人であふれかえる駅周辺で、ただ歩いているだけの自分を意識するときに起こる孤独も、「何の役割もない、ただそこにいるだけの自分」という「型」にはまっているだけなのだろうか。

感情というのは成長していくものだ。ちょっとした思いがどんどん膨らんで、自分では抱えきれないとき、爆発する。もしも、感情が「型」から生まれるのなら、「型」を少しシフトすることで、負の感情というのはしぼんでいくはずだ。

自分が落ち込んだときに、少しだけ、「型」というものを意識して、崩してみようかなと思う。


辺境ラジオ

辺境ラジオ


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雨に閉じ込められた午後にー映画『始終着駅ターミナル』

映画

よく言われることだけれど、別れに際しては、女性の方がさばさばしており、男性の方がひきずりがちだという。それは何となく私の周りを見ていてもそうかもしれないと思う。もちろんそうじゃない人もいるでしょうけども。

別れをひきずりたくない人と、どうしようもなくひきずってしまう人。そこにはどのような違いがあるのだろうか。愛の深さ?繊細さ?断ち切るエネルギー?

心が残ってしまうとき、人は生き方を変えざるを得なくなる。そして思い切るときもまた。


佐藤浩一主演『始終着駅ターミナル』を見て、そんなことを考えた。

一児の父で単身赴任して裁判官として働く鷲田(佐藤浩一)の前に、学生時代の恋人・冴子(尾野真千子)が被告として現れる。彼女との逢瀬を重ね、一緒に生きること決意した鷲田だったが、冴子は別の選択をする。それはあまりにも衝撃的な愛の選択だった。傷心の鷲田はぬぐいされない罪の感覚を抱えて、判事を辞め、妻子と別れ、国選専門の弁護士として釧路でひっそり暮らしていく。
ある日、弁護を担当した若い女性・敦子(本田翼)が鷲田の自宅を訪ねてきて……。

佐藤浩一の抑えた演技が切々と男の不器用な生き方を訴えてくる。他方、女性たちは潔く捨て去っていく。

原作は桜木紫乃『始終着駅ターミナル』

起終点駅(ターミナル)

起終点駅(ターミナル)


佐藤浩一は好きな俳優の一人だ。存在感があるなぁ。そして尾野真千子がとびきり美しい。痛切な運命をたどる女性を印象的に演じていて心に残った。本田翼も家族と縁の薄いはかない女性の情感を漂わす演技で好感を持てた。

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いつのまにか過ぎてたブログ2ヶ月目+ボランティア

つぶやき 気づき 散文

ブログを書き始めてからいつの間にか2ヶ月を過ぎていました。ここまで書き続けられてきたのは、ひとえに読んでくださっている方々のお蔭です。本当にありがとうございます。

体調を崩しての療養生活のなかで、ブログを書くことが楽しみの一つになっています。読んでいただくだけでも充分なのに、☆をつけてくださる方やブログ村のバナーをポチってくれる方までいらして、とても励みになっています。

読書するにも、ブログに記録をつけたり、感想を書くようになってからの方が、しっかり読めている感じがします。

それから、ときどき、落ち込んだりして愚痴っぽいこと書いてしまうこともあったのですが、あたたかく見守ってくださりほっとしています。

これからも、気が向いたら読みに来ていただけると嬉しいです。


もう一つ、ご報告があります。昨日、何とかボランティアに行ってこられました。久しぶりだったので、2時間で疲れてしまったけれど、とりあえず行けて良かったです。

もともとボランティアには、週2回ペースで行かせてもらっていました。すぐには無理だけど、だんだんと体調の波をうまくコントロールできるようになったら、またコンスタントに参加していきたいと思っています。

ブログもボランティアも自分のペースでやっていかれたらいいなぁ。



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しばらく引きずるときもある

本の記録・感想 つぶやき 散歩

男性だからとか女性だからと一般化するのは良くないと思っている。ただ、私が読んできた中では、女性の作家が書いたものの方がずしりと重いものを私に残し、しばらくその重石が取れなくなることが多い。

男性で言えば松本清張などが似たような重石を投げてくる。そういうときは、その石が軽くなるまで、その作者の作品は読めなくなってしまう。

男性作家のものが軽薄だというわけでなくて、重さの種類が違うのだ。どう説明していいのか、わからないのだが、身体にずしんと来ちゃうか頭で消化できるかの違いというか。濃縮された闇に捉えられそうなぞわぞわした感じが毒々しいほどに残ることがあるのだ。

だからだいたい、私は女性作家の本を読んだら、次は男性作家の作品を読むことが多い。でも、今回、女性作家ばかりからなる短編集を手に取った。『甘い罠ー8つの短編小説集』だ。書き手は、江國香織小川洋子川上弘美桐野夏生小池真理子高樹のぶ子高村薫林真理子

この中では、高樹のぶ子の「夕陽と珊瑚」が比較的重い感じがした。どういうのが重いかというと、業を感じるもの、見たくない人間の本性を見せるものといったところだろうか。

例えば、高村薫の「カワイイ、アナタ」の中の一節。

私から逃げていく彼女たちは、揃いも揃って男の企みを見透かしているに違いない。色情に満ちた夢想を嗅ぎつけているに違いない。ああいや、ひょっとしたら彼女たちは自分が男の夢想にふさわしい無垢な生きものでないことを知っていて、それを見抜かれる前に思わせぶりに逃げていくのかもしれないーー。

この最後の一文などはちょっとドキリとしませんか?まぁ、これはさほど重い方とは言えませんが。

今回は短編なのもあって、しばらく読まないでいようと思うほどの重石は残らなかったけれど、それぞれの力量を感じさせる作品群でした。ただ、わざわざ書くこともないのですが、林真理子さんのは生々しい性描写が多くて、私にはちょっと苦手な種類の文章でした。

甘い罠―8つの短篇小説集 (文春文庫)

甘い罠―8つの短篇小説集 (文春文庫)

物語のリアリティー

つぶやき ぼっち 散文 本の記録・感想 気づき

本を選ぶときはタイトルに惹かれたりする場合もある。読んだことのない作家だと特にタイトルで手に取ることが多い。
中村文則『去年の冬、きみと別れ』もそんな小説の一つだった。

中村文則推理小説家だ。けれど、タイトルはそれっぽくなく感じて興味を持った。ミステリーが嫌いなわけでなく、ちょっと変わったミステリーが読めるかもという期待を持ったのだ。

結論から言うと、すごく構成が斬新で読みごたえのある作品だった。

この小説には複数の「僕」が登場する。だから、物語の後半で描かれる以下の部分を引用してもネタバレにはならないだろう。

僕はね、あの瞬間、化け物になってしまったんだよ。あの時、僕の身体が、自分から遠く遊離していくように思えた。僕が、僕から静かにずれて消えていく。その漠然とした恐怖を感じた瞬間、身体が拒否するように震えて、でも自分が今震えたと思ったときはもう、意識がどこかに落ちていくように冷えていた。僕に似た僕をあとに残していくことへの恐怖は一瞬のことだった。意識のバランスを保つブレーキのようなものを、もう感じることができなかった。

リアリティーのある文章だと思った。この本のなかに「芸術とは一種の暴露である」というセリフもあるけれど、推理小説の中でリアルを感じさせるには、丹念な取材の他に犯人の気持ちの模倣だけでない、作者自身の闇の開示・肥大化も必要なのではなかろうか。そして読者も自分の闇を意識して初めてリアリティーを感じるものだと思う。



去年の冬、きみと別れ

去年の冬、きみと別れ


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花言葉の物語ーミモザ

つぶやき ぼっち 物語 散歩 散文

散歩の途中で、りっぱなミモザに出会いました。もう大分過ぎてしまいましたが、3月8日はミモザの日、国際女性デーでした。イタリアでは、日頃の感謝をこめて、男性が女性にミモザの花を贈るそうです。

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ミモザ花言葉は、「優雅」「友情」「秘密の恋」です。
例によって、花言葉を使った物語を書いてみます。


「あのさ、頼みがあるんだけど」
ヒロがその長い指を組み合わせながら話しかけてくる。午後3時の学食のテーブルは人がまばらで、声をひそめるほどのこともなく、二人で話ができる。僕はまた夕飯の支度でも頼んでくるのだろうと、ティーカップをソーサーに置いてヒロの方を向いた。
ヒロはいつものように屈託なく話し出すことはせず下を向いている。嫌な予感がした。

「誤解して欲しくないんだけど」そう言って口ごもる。先を促すような言葉が出てこなくて僕も黙っていた。
「俺たち、つき合い初めてもう2年になるかな」
別れ話だ、そう直感した。
「実はさ、本当に唐突で悪いと思うんだけど、しばらく距離を置きたいんだ」

僕たちは誰にも話せない悩みを抱えながら、秘密の恋を大切に育んできた。もうずっとこのまま、2人は離れることがないのだと僕は信じるようになっていた。だけど……。

「それは、もう決めたことなんだね」
「あぁ」

ヒロの真剣な眼差しが僕の胸を刺す。自分が遠くの方から二人を見ているようで、僕は宙ぶらりんに浮遊する。

「嫌いになったわけじゃない。他に好きな人ができたわけでもない。ただ、そういう期間が必要だと思うんだ」
「冷却期間ってことかな」
「うん、そうだけど…ちょっと違う。またつき合うかどうか決めるんじゃなくて、俺たちの間に友情が芽生えるかどうか知りたいんだ」
「友情?」
「恋人としてつき合わないってことと友情は両立できると思う」
「それはつまり、冷却期間じゃなくて終わりってことだよ」
「でも、俺はおまえと友人としてつき合いたいと思っている」
「どうかな。僕には今すぐうまく応えられそうもない。それこそしばらく会わないでいよう」
僕が立ち上がると、ヒロは何か言いたそうにしていたけれど、構わずに歩き出した。ヒロは追ってこなかった。

ありきたりの別れの場面だったねともう一人の僕が言った。

その通り、映画のような優雅さは微塵もない、痴話喧嘩レベルの別れ方だ。現実はこんなもの。

外に出るとミモザの花が咲き誇っていた。去年ヒロが誕生日に贈ってくれた花だった。明日、またひとつ年をとる。


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ふと気づいてしまった。

つぶやき ぼっち 本の記録・感想 気づき

作家は、登場人物の名前をどのように決めているのだろうか。そう思ったのは、名前に色のついた人物を多く登場させている本に出会ったからだ。

ポール・オースター『幽霊たち』では、探偵のブルーがホワイトに頼まれて、ブラックという男を監視し続ける。ブラックは毎日窓際の机に向かって、本を読んだりノートに何かを書いたりする毎日を送っている。何の事件も起こらないまま時は過ぎていく。ブルーはその状況を変えようと動き出すのだが……。

ブルーの師匠の名まえがブラウン。もう、ここまで来るとかなり意図を感じる。ポール・オースターは『鍵のかかった部屋』で主人公にこんなふうに語らせている。

何より一番楽しかったのは、名前を考え出す作業だった。ときとして僕はとんでもない名前ーーものすごくコミカルな名前、駄洒落になっている名前、猥褻な名前ーーを使いたい衝動に駆られ、それを抑制するのに苦労した。でもたいていは、リアリズムの領域内の名前で満足していた。

さて、色のついた名前で思い出すのは、村上春樹『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の旅』だ。主人公の高校時代、仲良しグループのメンバーは皆、色のつく名前だった。

もしかして、村上春樹ポール・オースターの『幽霊たち』から着想を得たのではないか。そう思ったのは2つの小説にもうひとつ共通点があるからだ。

両方に、主人公の彼女が見知らぬ男性と腕を組んで歩いているのを見かけるというシーンがある。オースターの方は彼女も気づく展開、村上作品では彼女は気づかずに通り過ぎていく。

確か、オースターと村上春樹は知り合いのはずなので、あながち私の過ぎた憶測ではないのではなかろうか。それとも、私が知らないだけでこれは村上のオースターに対するオマージュとして認知されていることなのかもしれない。

でもまあ、私としてはこれに気づいたことで、ちょっと得した気分になった。


幽霊たち (新潮文庫)

幽霊たち (新潮文庫)

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