kai8787の日記

編み物と散歩と読書とダイエット

誰かに話したいのに相手がいないとき

何事かが起こって不安だったり、悲しかったり、頭にきたり、愚痴りたいときに、聞いてくれる相手がいないときがある。

 

例えば、友人が第三者のあるエピソードを話したあと「聞かなかったことにして」と言ったとする。

聞かなかったことにするのは構わない。そういうとき、私は忘れるように努める。

 

しかし、その友人が別の日に私に喋ったと他の人に言ったりして、私はむかっとする。私に「聞かなかったことにして」と頼むなら、自分も言わなかったことにして欲しい。何なんだよーと小さく憤慨して、ちょっと誰かに話して同意を求めたくなったりする。

 

でも、気の小さい私は誰にも喋れない。あーあとため息をついて、困ったもんだなと思いながら気持ちをなだめていくんである。

ときどき、トイレで「まったく」とか「ほんとにもう」とか、一言つぶやきながら。

 

「王さまの耳はロバの耳」的な行為を繰り返しているうちに、どうでも良くなったり、あるいは、友人に「私に話したということを他の人に言って欲しくない」とはっきりと伝えたりする。

 

本人に聞いた訳でもない話をネタにする趣味はないので、私はその手の会話には加わりたくないんである。

 

誰かに打ち明けられた話を自分だけでは堪えきれず、つい人に話してしまい後悔する、というのも人間的なのだがなぁ。

話せないとストレスがたまるのはわかるんだけどなぁ。

まぁ、私みたいな奴に話したのが運のつきだよ。ごめんよ、乗れなくて。

 

 

 

 

 

 

 

激しい感情の取り扱い

同じ体験をしても、すんなりと受け流せる人がいる一方、強く激しい感情に囚われてしまう人がいる。もちろん、私は後者だ。

 

困っている。

 

誰かが傷つけられたりすると、もうダメ。その行為がどうしても許せない気持ちが持続して、その人自体と会いたくなくなってしまう。うぅ、大人なのに。

 

悪感情は気持ちが良いものではない。その人に会えば、余計なことを言ってしまい、後で後悔するのはわかっているから、会わない方がトラブル回避になると思っている。

 

そうすると、その人が来るところには近寄りたくないので、行動半径が狭まり、会いたい人にも会えなくなる。で、困る。

 

それ以前に、強く激しい感情のために眠れなくなったり、頭がぐるぐる状態になるので、激しく疲れてしまう。

 

今のところ、解決法で即効性があるのは、抗不安剤を服用することだ。ぼーっとして、とりあえず頭が休まる。効かない人もいると思うが私にはよく効いてくれるので助かっている。

 

でも、本当は薬以外の方法で感情の炎を抑えられたらいいのになぁと思っている。例えば手仕事とかヨガとか良いかもと思うのだが、激しい感情の嵐のせいで疲れているので、とても始める余裕がない。少しおさまってきた頃ならできるかもしれないなぁ。

 

感情に対抗するのは、やっぱり理性なのだから、理詰めで自分を諭せばいいのかというと、これが上手くいったためしがない。

やっぱり一回は毒を思いっきり吐かないと、ダメで、要はどこでどうやって排出するかなんだよねぇ。

 

人に話す、壺に話す、ウサギに話す、と色々あると思うのだけれど、私の場合、やはりウサギに話すのが一番良いのかも知れない。聞き耳をちゃんと立てて、大きな耳で聞いてくれるもの。ウサギは秘密を守ってくれるし。

 

うん。今度試してみようっと。

 

寝込んだあとの鬱から逃げる方法🏃

10年以上はなっていなかったと記憶している、インフルエンザになってしまい、一週間寝込んでいました。

 

発熱して、ふしぶしが痛くて、ぜこぜこして胸苦しく、風邪薬を飲んで寝てたのですが、3日経っても熱が引かないので、あきらめて病院へ行き、インフルエンザと判明。

 

なんてこったい!

 

人混みを避けていたのに、ちょっと頑張って出かけたせいで、こんなに簡単に感染して帰ってくるとは!なんて脆弱な、てゆーか私の免疫力低すぎじゃないかい?

 

どーんと落ち込んで、ともかく薬飲んで熱下げて感染予防のために家にこもっておりました。ってことは、私の場合、鬱になるよね~ってことで、だるくて仕方がない状況です。

 

うつ→免疫力低下→風邪引き→寝込む→うつ

という負のスパイラルに陥っているのです。

 

まずい!

 

ともかく寝てばかりいないで、できるだけ座るようにする。それができるようになったら、着替えてみる。外に無理に出ない。軽く着替えられるようになったら、初めて外出してみる。久しぶりのお外はまぶしい。いきなり脳が刺激を受ける。

とりあえず近くのコンビニ程度で帰ってくる。きっと、それだけでもヘトヘトだるだるになってしまう。ちょっと休む。

ここで大切なのは、どこで次の段階に進むかというところで、ソフトランディングしてかないと、何歩も戻らないといけなくなる。

 

簡単に言うと、めっちゃ楽にできるようになるまで待つのが大事なんです。ちょいちょいパンチ出してみて様子を見るのはOKなんだけど、そのパンチはゆる~くしとくこと。徐々に力を入れるんだけど、全力は出さない❗️

 

身体はゆったりココロもゆるゆる。それでも口笛吹きながら着替えられたなら、次は外に出てみよう!

 

そんな感じで街に出られるようになるのは、来年の春かもしれません。「そんなに先?」と思うかもしれませんが、焦りは禁物です。

何てったって相手は怪物なので、ドウドウとうまくなだめてあげなきゃいけません。

 

なんて、えらそうに書いてますが、私は早速失敗して、また寝込んでしまいました。うひゃあ。

また、座るところから始めます。今度は欲を出さずにスローペースを心がけます。

明日は寝ると座るが半々くらいかなぁ。

 

さてさて年越し蕎麦とお雑煮は食べられるでしょうか?

 

 

 #インフルエンザ #鬱 #うつ #寝込む

 

つながること、孤独、腑抜けのいいとこ

ひとりでお気に入りの音楽やラジオを聴きながら編み物するのが好きで、家に閉じこもりがちな秋。

ひとりで居るのが気楽だと思うことと、人に会いたいと思って行動する比率は、98対2くらいじゃないかな。

なんだか年々引きこもってるのに慣れていってる気がするけど、これってまずい?あるいはやばい?

 

エネルギーが枯渇してるのかなぁ。

何に関しても億劫で仕方がない。極端に疲れやすいものだから、家から外に出るのがひと仕事で、ネットで見かけたイベントで興味をそそられるものがあっても、大抵「まっいいか。家に居よう」となる。

 

いつしか「疲れた」「だるい」「めんどくさい」が口癖になってしまった。やっぱりやばい?

 

でも、こういうときに頑張ったりすると落ちるから、だらけてもいいことにしよう。

腑抜けでいいのだ。

そういえば、アグレッシブに生きるのは、諦めたのだし、それのが私らしくいられるよ。

上昇思考とか競争社会から降りることが、私には必要だったのだ。

 

そうは言っても少数派の価値観で生きてるので、ときどき同じような生き方してる人に会いたくなる。

 

自分は自分でいていいって思えるのは、つながりがあってのことなのかもしれない。リアルで具体的な人間関係だけでなく、本とかブログとか映画とかのなかに「いたいた」って思うことだっていいんだよなぁ。

 

力を大幅に抜いて生きてる人って魅力的なんだよね。今の私には。案外難しいものなんですよー、腑抜け状態になるのは。

ぼーっとするのって大切で、その究極が腑抜けなので、もう私には悟りを開いてる人って感じなんです。

 

ピッカピカの10円玉を30円で売ってるおっちゃんが、大阪の新世界にいるって聞いて、私はその世界観にやられちまったよ。

 

ピッカピカのきれいな10円玉って、子供の頃に見つけたらめっちゃワクワクしたもんね。「きっと欲しいやつおんで」とおっちゃんはワクワクして売りに出したんだよ、道端で。

 

なんかさ、つげ義春さんの「無能の人」を思い出しちゃったなぁ。

 

無能の人・日の戯れ (新潮文庫)

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もちっと気楽にー不安が止まらないとき

どうしてかな。余裕が失くなってしまって、一年近くブログを書けなかった。ともかく一日をやり過ごすのにやっとだった。歩くのもしんどくて、何とか出かけてもヘトヘトになって、帰ってから横にならずにはいられなかった。どうしても出かけなければいけないとき以外、家で休んでいる。

 

親が難病になってしまい、進行性の病気なので近い将来介護が必要になることが判明した。新幹線を使えば2時間半で帰れるけれど、気力・体力のない私は1ヶ月に1度帰るのが限度だ。もっと親の具合が悪くなったら、その時には公的支援に頼らざるを得ない。

 

もともと私には将来を先まで考えすぎて落ち込むという得意技があるので、もうバッチリ落ち込んでいる。ただ、この頃、どうしようもなく落ちていく途中で止まることを覚えた。「あっ!また、ぐるぐる思考に陥ってる」って気づけるようになって、そしたら「今は今できることだけ考えよう」と思うこと。そうすると、無闇にエネルギーを消耗しなくて済む。こういうことが当たり前にできている人が多いのかもしれないけど、私にはできてない時期が長くて苦しかった。

 

気づけるようになったのは、友だちの影響だ。その人は、まさしく「今、ここ」の人で、動物的感がある。いつも的を得た意見を言ってくれる大切な友人だ。言いにくいこともズバッと言ってくれるので、「が~ん」となることもあるけど、言われてみればその通りだし、鋭い着眼点であることが多いので、「が~ん」のついでに「なるほど」と納得するのだ。

 

「明日になったらまた状況が変わってるかもしれないし、何年も先のこと考えて悩んでも仕方ないんじゃない」

「その時になってからじゃないと打てない手だってある」

 

長年、後生大事に抱えてきた妄念「今のうちにやっておくべきことを、将来不安要素から逆算して考える」を見事に粉砕してくれた。

 

まだまだ「何とかならぁ~な」とまで達観はできない私だけれど、少しだけ楽になった気がする。とりあえず、ぐるぐる思考になったり抜け出したりはあるけども、今日も何とか無事に終わった。その事に今は感謝しよう。

 

 


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本をめぐって

  涼しくなって、血圧も100くらいまで回復してきました。ただ、家にばかり居たので、筋肉の衰えははなはだしく、少し歩いては息切れして、どこかに座って休みたいというくらい体力がなくなっています。

  買いたいものがあるのに出かけるのが億劫でついネットに頼ってしまうのです。だけど、例えば本などは、やはりパラパラとめくって試し読みしてから買いたいなと思います。サンプルをダウンロードできたりするけれど、ちょっと短かったりするし、読みたい本がデジタル化されてなかったりもするので。

 

  今、気になっているのは、國分功一郎さんの『中動態の世界』です。少し難しそうなタイトルですが、割りと読みやすいということなので、何か新しい視界が開けるんじゃないかと期待してます。

   私は、こういう本は紙の本で読みたいのです。何度も前に書いてあったことを確かめたり、もう一度読み返してみたい場所がぱっと見つけやすいし、場合によっては線を引いたり、書き込みしたりするかもしれないからです。

 

  神田の昔ながらの古本屋さんに行けていた頃、書き込みのある本があって、私はそれが面白くて好んで買っていました。値段も安かったですし。こんなことを思いながら読んでる人がいるのか、ここが重要だと考える人もいるのだな、なんてなふうに楽しんでいました。

 

  今は図書館の近くに住んでいるので、よく利用していますが、書き込みのある本ばかり集めた図書館なんかあったら、面白いだろうなと思います。あるいは感想ノートつきの本とか。

 

  今日は本を見に出かけたいなぁ。重い腰がくくいと持ち上がりますように。

 


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生きる意味を失ったら

朝、ぼーっと起きられる幸せ。冷や汗や暗い気持ちでなく。また一日耐えなければとうつむくこともなく。

 

一方で、かつての私がそうであったように(あるいは未来の私がそうなるかもしれない)、生きがいが感じられず試練ばかりが浮かぶ暗黒の朝を迎えている人もいる。

 

そういうとき、何故と問うてもほぼ答は見つからない。それどころか、問えば問うだけ自分を責めさいなむ方向へ傾斜する。「もっと努力すれば」「どうしようもないのだから我慢したら」「自分で選んだことなのだから」「何故生まれてきたの」「何故死んでしまったの」……

 

少し安心・安全な状態でいられる今のうちに、うちひしがれていた頃の私に、そっとささやいてみよう。「充分、努力したし、我慢もしたよ」「道は他にもあるよ」

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

生まれてきた貴方と私

おなかから出たかったんだよね

心地よいけれど窮屈になって

広くて明るくて息のできるところへ

 

貴方と出会って

貴方と暮らして

そして

貴方を喪った

 

泣き叫ぶこともできない

“こんなことなら貴方に出会わなければ良かった”

 

いいえ、私から貴方との日常が消えることはない

こんなにも人を愛せたのだ

この愛を育んでくれた貴方に

私は感謝しよう

 

哀しみは去らないけれど

私は私だけを見つめ過ぎず

木や花や風を感じて

暮らしていきましょう

そして

そっと貴方と

 


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