それでも手づくりが好き
昨日、少し涼しかったので図書館に自転車で行きました。友達が安く譲ってくれた電動自転車のパワーを強にして、身体に負担がかからないよう気をつけたのだけど、くらくら😵💫が来てしまった。まだまだ無理は禁物だ。
低血圧と言って受診しても薬を処方してくれる訳ではないみたい。流石に70を割ったり意識なくしたりしたら、出してくれるかもしれないけれど、私みたいに80くらいだとダメなんだろうな。養命酒でも飲もうかなぁ(笑)。
さてさて、毎日ちょびっとずつ刺していた花の刺しゅうが完成しました。
今回、濃紺の布に刺したので、針先が見えにくくて難しかったです。後は、茎の部分で太くしたいところ、アウトラインステッチを一定の太さで刺すことができなくて、細くなってしまったのが反省点です。
刺繍初心者なので、基礎の本も買ってみました。
- 作者: 川畑杏奈,あべまり,石井寛子,井上ちぐさ,大菅絵理(AIUTO!),kanaecco,北村絵里(coL),ささきみえこ,薗部裕子(マルチナチャッコ),早川久絵(pulpy。),平泉千絵,前田まどか(madoka),PieniSieni,マカベアリス
- 出版社/メーカー: 西東社
- 発売日: 2018/03/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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可愛い図案もあって見ているだけでも楽しめました。監修の川畑杏奈(annas)さんは、YouTube で刺繍の解説動画をいっぱいアップされていて、わからないとき検索するとだいたい出てくるので、助かっています。
今日は家で座っているのが目標です。横になってる方が楽だけど、筋肉が激減しそうなので無理しない程度にがんばります。
夏のフラフラ
フラフラと言っても、フラダンスのことではなくて、低血圧のふらつきのことです。
暑いと血管が拡張するようで、私の血圧は上が80そこそこ。立ち上がるときにはゆっくりしないと、ぐるぐるめまい必発なのです。
外を歩くのは現状では難しく、座れる杖みたいなものがあればいいなぁと思っていたところ、こんなんを見つけて買おうかどうしようか迷っています。
仕方なく、家で編み物や刺繍をしています。
これは、かぎ針や小さなはさみ等、編み物道具入れに仕立てる予定です。刺繍初心者にしては頑張ったぁ。パチパチ。
やっと、お盆も明けたので、これから少しずつ涼しくなるといいなぁ。セミさん、さようなら。鈴虫さん、こんにちは。ってなれば、フラフラも少しはましになるでしょう。
ぶきっちょだから遅いんです。。。でもね
私にはとても手先の器用な妹がいて、長い間ずっと自分はぶきっちょだから手芸は向いていないと思っていた。
でも、ある日ある人が、「ぶきっちょっていうのは、仕事が丁寧ってことやで」と言ってくれた。
それから、私は安心して手仕事ができるようになった。器用な人の何倍も時間がかかるかもしれない。でも、それでいいんだって思えるようになったからだ。
そしたら、私はものを作るのが本当は好きなんだってわかった。時間はかかるけど、コツコツ編んだり、一針一針刺したりするのを楽しんでる自分がいた。出来上がりに不満を持つこともあるけど、そういうときはどこがいけなかったのか考えて、次の作品のときに忘れないようにノートに書いておいたりして、ちょっとずつ良いものが作れるようになるのが嬉しい。
人の言葉ってすごいな。傷つけられることもあるけど、背中をポンと押してくれる優しい声が心に届くと、感謝の気持ちでいっぱいになる。
自分で勝手に狭めていた世界をキュキュっと広げて新しい風が舞い込んできて、飛ぶ勇気を与えてくれる。ダメな自分がOKな自分に変わって、いつの間にか遠くまで飛べるようになっていて驚く。
チクチク、編み編みだって、本当に奥が深い。だから、おもろいんだよ。
手仕事ジャンキー
私が手芸が好きなのは、何かしているという状態が落ち着くのと、できあがったときの達成感と、こんなんできましたって披露したときにもらえる≪いいね≫があるから。
飽きっぽいわたしが続けられているのは、楽しいと思える瞬間が散りばめられているからだし、寛げる場所で自分のペースで一人でやれることだからだ。でも、一番大きいのは、何か作業をしていることで、「生きてていいんだよ」という安心感を得ていることだと思う。
ほとんど、生産的な活動のできてない私が何かを作り出せるのではないかという希望を抱くことができるのだ。
私の夢は、小さな手芸カフェをやること。お気に入りの手芸材料や本、雑誌を販売したり、お茶を入れてお喋りしながら編み物したり、お裁縫したり、刺繍したりする空間。かわいいお庭があって天気が良い日にはテラスで、作品を見せ合ったりして。。。
完全に妄想なので恥ずかしいけど、とりあえず、ここにこっそり書いておこうと思います。
そんな妄想しながら、こんなんを編んでいます。
社会の断片として
社会学というと、ちょっと、とらえどころがなく、広範囲な学問という印象がある。研究の仕方も色々ありそうだ。ただ、以前から面白そうだなとは思っていた。
岸政彦『断片的なものの社会学』は、様々なエッセイで、多角的に社会の有り様を呈示してくれる。
社会学を研究するやりかたはいろいろあるが、私は、ある歴史的なできごとを体験した当事者個人の生活史の語りをひとりずつ聞き取るスタイルで調査をしている。
本書では、著者が社会調査しながら考えてきた事柄を丁寧に書き起こしていく。
こうした断片的な出会いで語られてきた断片的な人生の記録を、それがそのままその人の人生だと、あるいは、それがそのままその人が属する集団の運命だと、一般化し全体化することは、ひとつの暴力である。
この社会学への眼差しの確かさが安心感を与えてくれる。分析することと、決めつけることは紙一重なのだ。
社会のひとひらとして生きていくしかない私が、この本を通して、岸政彦という社会学者の暮らしや思いの欠片を読み、共感したり違和感を持ったりすることにどんな意味があるんだろうか。
意味などないかもしれないけれど、読書というのは、私の狭い世界をほんの少し拡げてくれる。そして、この本は内向していた気持ちを外に向けてくれた気がする。
なにかに傷ついたとき、なにかに傷つけられたとき、人はまず、黙り込む。ぐっと我慢をして、耐える。あるいは、反射的に怒る。怒鳴ったり、言い返したり、睨んだりする。時には手が出てしまうこともある。
しかし、笑うこともできる。
辛いときの反射的な笑いも、当事者によってネタにされた自虐的な笑いも、どちらも私は、人間の自由というもの、そのものだと思う。
私は、どうしようもなく悲しい笑いを知っている。自由というものを手放さざるを得ないときの寂しい笑い。それでも、それは、非常に人間的な笑いとして立ち上がってくる。
少し思い出して怖くなってしまった。あはは。アホな私。
- 作者: 岸政彦
- 出版社/メーカー: 朝日出版社
- 発売日: 2015/05/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ぐるぐる思考に落ちそうなとき
めまいや立ちくらみが改善し、身体にも力が入るようになってきたけれど、気分の落ち込みはさらにひどくなり、なかなか集中力が保てなくなっていった。
本を読もうとしても長続きせずじっとしていられない。仕方がないので散歩に出かけても、イライラが頭をもたげて楽しめない。心のエネルギーが足りない。
ついネガティブなことばかり考えてしまう。消え入りたいような気持ちになる。焦って結論を出したくなる。友人たちから遠ざかりたくなる。人に会いたくない。
人のいないところを求めて歩いている。
いつか、この圧迫された暗い道を抜けて、笑い合え助け合う関係に戻れるのだろうか。
全てに嫌気がさして、カチカチの心を抱えて、仲間と一緒に登っていた山道から、自分だけリタイアして逃げ出したい衝動。
ただ一人で静かにしていたい。交流を拒否する気持ち。
この私は間違いなく私なのだけれど、かなり特異な私。本質ではない。いっぱいいっぱいでまるで余裕がない私。
落ち着いた状態を取り戻すまで、獰猛な私を何とか抑えておかなければならない。爆発しないように、煮詰まらないように、散歩することでガス抜きをしていくしかない。
身体を疲れさせて、睡眠が深くなるようにすること、いっぱい食べて栄養をとること。私が一番やらなくちゃならないのはその2つだ。
余計なことは考えまい。