深い森のなかの事件
久しぶりにミステリーを読んだ。マリーア・シェンケル『凍える森』。
1922年、南バイエルンの片田舎ヒンターカイフェックの大きな農家で一晩のうちに6人が惨殺された『ヒンターカイフェック殺人事件』は、ドイツ犯罪史上もっともミステリアスで猟奇的な事件として、広く知られている。
この事件に、著者マリーア・シェンケルはひとつの推理で挑んだ。それが本書2007年ドイツミステリー大賞受賞作『凍える森』である。
この本は証言で構成されている。斬新な試みだ。
被害者の友人や教師、家に立ち寄った郵便配達人や修理工、発見した近所の農夫
たちの証言から浮かび上がるものとは……。
証言者たちの中に犯人がいるのか、いないのか、どきどきしながら読んでいく。ある証言の中に違和感を覚える。「もしかして」という疑念が生まれ、最後に真実が明かされたときに「やはり」と納得する。ミステリーの快感を素直に味わった。
- 作者: アンドレア・M.シェンケル,Andrea M. Schenkel,平野卿子
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2007/10
- メディア: 文庫
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直感力が欲しい
私の友人には、動物的な勘の持ち主がいて、難しい人間関係問題などをささっと解決してくれたりする。すごいなといつも感心してしまう。
私はどちらかというとマニュアル人間なので、人間関係みたいな複雑系になると、もうお手上げ状態になる。
どうも人間には理屈で考えるタイプと直感で動くタイプがいるみたいで、私は後者タイプの人に憧れてしまう。
もちろん私だって、直感で人を好きになったり、好みの服を選んだり、その日の気分で聴く音楽を決めるようなことはする。ただ、傾向としては情報を頭で分析して考えてから行動する方が多いように思われるのだ。
直感タイプの人はしなやかで軽やかでワイルドで多彩だ。なんというか、危機が訪れたときに生き残るのは、直感タイプだと思う。
理屈タイプだって少しはいいところがあるかもしれないけど、映画などではだいたい控え目な役どころで、ヒーローはやっぱり直感タイプが多い。何しろ行動力が圧倒的に違う。
関係ないかもしれないけど、筋肉質の人って直感タイプが多い気がする。もしかして、直感タイプは狩猟民族に多いのじゃないだろうか。農耕民族は生産計画をたてたり、備蓄方法を考案したり、天候を予測したりしなくちゃならないから、やっぱり理屈タイプじゃないとやっていけないんじゃないかな。
あぁ、年々、直感力が失われていくような気がするなぁ。どうにかならないものだろうか。たまには何の計画もたてない行き当たりばったりの旅とかしてみればいいのかもしれませんね。
俳優さんは大変だ
アクション映画も嫌いではないし、どんでん返し連発のドラマチックなストーリーもいいけれど、たんたんと丁寧に描写するような映画も好きなのだ。
安田顕主演『俳優 亀岡拓次』はそんな映画のひとつ。
脇役ばかりの俳優・亀岡拓次は37歳で独身、恋人なし。「一人は寂しい」と呟きながら、撮影のある土地で酒を飲む日々。ある日訪れた町の居酒屋で美しい若女将の安曇と出会い…。
哀愁漂う画面とは裏腹に音楽がコミカルでほのぼのしてしまう。苦手な舞台の話を引き受けてしまい、おどおどしている場面とか笑えるし、スペインの監督のオーディションを受けたときのさすが役者と思わせるところもあって楽しめた。ラストの砂漠のシーンは彼の役者人生を表しているようですごく象徴的だ。
安曇役の麻生久美子も魅力的だった。セクシーというのでなく、ほのかな艶っぽさ。湯上がりの美女といった趣き。
安田顕というと、映画『変態仮面』の偽変態仮面役で強烈なインパクトを受けた俳優。ちなみに、その映画の主演の変態仮面は鈴木亮平だった。この映画は友人の強い誘いで見たのだが、女性のパンティをかぶってエネルギーを増すというほとんど全裸に近いすごい役柄を真剣に演じている俳優の皆さんに頭が下がる思いだった。
それに比べて、この亀岡拓次の役柄は、安田顕さん自身の日常に近く、逆に演じるのが難しかったのかもしれない。
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まっさらな気持ち
まだ、ほんの小さい頃、そう、グーチョキパーのチョキがうまくできないくらいの幼い頃、私はくまのプーさんの絵本と白いくまのぬいぐるみ「マコちゃん」が大好きだった。
絵本は兄に油性のサインペンで全てのページにいたずら書きされ、マコちゃんは「汚くなったから」と母に捨てられ、共に号泣することになった。今、思い出してもすごーく悲しい。
そんなことを思い出したのは高橋源一郎の『さよなら クリストファー・ロビン』を読んだからだった。大人のためのファンタジー小説集である。
表題作「さよなら クリストファー・ロビン」は子どもの頃読んだ童話の数々が登場する。最後にくまのプーさんで締めくくられるのだけれど、とても切ない終わりだった。
「峠の我が家」は、私にとっての「マコちゃん」のように、誰でもいただろうごく小さい頃の「友だち」についての話。
「星降る夜に」ーー大学を卒業してから全く働かず、誰にも読まれない小説を書き続けて四十歳になった「わたし」は養ってくれていた女性から「働いて」と言われ、職探しに行く。そこで得たのは、事情のある子どもたちに本を読むという仕事だった。
あどけないが実は哲学的問いかけをする子と、それに丁寧に応える優しくて落ち着きのある父との会話が楽しい「峠の我が家」。最後に鉄腕アトムをモチーフにした哀愁を帯びた物語がある。
死んだ人がやって来て、クラスメートや議員になる奇妙な世界と死んだ人が去っていった後に残されたものを描く「ダウンタウンへ繰り出そう」
アトムとトビオの物語を縦軸に、時間があべこべの世界や突然別の誰かに移行する世界を横軸にした、存在するとは何かを問う「アトム」
それぞれの物語がクラっとするような異次元の世界に誘う。一冊で何度も楽しめ、様々な思いが錯綜する状態にしてくれる本だった。
- 作者: 高橋源一郎
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幸せの粒を見つけてー開花
今日は天気が良くなったので、近くの桜を見に行ったけれど、まだ一分咲きくらいでした。今週末くらいがお花見にちょうどいいかなぁ。
でも、ポカポカ陽気でシートを広げている人たちもたくさんいました。
ふと、一分咲きの人生も幸せなのかもしれないと思ったりしました。考えてみたら、満開に幸せな人ってほとんどいないのではないかなぁ。五分咲きくらいの人が大半なんじゃないかと思うのです。
幸せって人から思われても、自分では不幸だと思っていることも結構いますし、逆に不幸だとばかり思っていた人が案外明るく小さな幸せを感じていたりして。
そう、幸せを感じやすい人っていると思いませんか。そういう人は何だか何気ないことに感謝の気持ちを抱いていることが多いように感じます。
自分の努力で勝ち取ってきたというふうに考えるより、おかげさまでと思える気持ちの方が幸せとの親和性が高いように思います。
生活に必要なちょっとした行為一つひとつに、楽しみを見つけて丁寧にやっていける人には、安定感や落着きがあり、一緒にいて安心できます。
私もそういう人になりたいなぁ。そうすれば、一分咲きからだんだんと幸せが開花していくように思います。
秘密を持つこと
秘密を抱えるというのは苦しい。どんな秘密であれ、自分自身の心に負担をかけるものだ。
他者の秘密を守るのと、自分自身の秘密を保つのとどう違うのだろうか。私の場合、わりあい他者の秘密については冷静でいられるけれど、自分の秘密には感情を圧迫されることが多い。
他者に「これは人に言わないでくれ」と頼まれたとき、黙っていることで別の人を損なったりしない限り、私は黙っていられると思う。私はそういう事実があったことを忘れるように努めるし、それによって心理的負荷がかかることはほとんどない。
迷うのは、黙っていることで別の人に迷惑がかかるかどうか判断しかねるときだ。例えば、友人の連れ合いが浮気しているというのを知ったときどうするか。この場合は、私は教えないだろうと思う。その手のことは、すぐにバレるか、すでにバレている可能性が高く、私に友人が話してないとすれば、触れてほしくないということだと思うから。
考えてみると、私はあまり人に秘密を打ち明けられてはいない。カミングアウトしていないことを黙っていてくれと言われたことは一回あるけれど、そういうのは心の奥にしまい込む。そうだなぁ、他にもう一つくらいはあるけど、それも秘密にしておくのにさして困らないものだ。
自分自身の秘密については、今抱えているのは重いのと軽いのと両方ある。一つは生き方の選択の問題で、決断によっては友人たちを失望させるだろう。だから、悩んでいること自体を今は秘密にしている。これは結構苦しい。
ただ、体調があまり良くないときに重要なことを決めない方が良いので(というのは、マイナスの方に引きずられてしまい後悔するから)、今は保留しているのだ。
軽い秘密は、少し気になる人がいること。これは秘密にしておく方が華の部類のことだ。
秘密を抱えて生きるのが大人になるってことなのかなぁ。してみると、私も少しは大人になったのかもしれない。