kai8787の日記

編み物と散歩と読書とダイエット

女子会の覗き見気分で

小説ばかり読んでいたので、たまにはエッセイを読みたくて、選んだのが山本文緒『日々是作文』。

著者が31歳から41歳になるまでの約10年間に雑誌などに書いたエッセイを集めた本だ。

さばさばしていて、あっけらかんと自分をさらけ出している、という印象を持った。恋の話、モテるとは何か、本の話や猫のこと……共感したり、驚いたり、何だか肩の力が抜けて、女同士の打ち明け話を聞いているような親近感で読んだ。

セックスの一番の効用は、そうして社会から切り離され、社会での役割を忘れ、本来人間はただの動物だということを思い出し、人肌の気持ちよさを無心に味わい、お互いがお互いを好きならば、労(いたわ)りあい思いやりあい、鳥の巣みたいに小さくても、そこに二人だけの絶対安心な場所を作り上げることができるからじゃないでしょうか。
いつかは飽きるとか、今は優しいけど男ってものはそのうち浮気するとか、そういう邪心で一瞬の幸福に水を差して楽しいでしょうか。それがつまり頭でっかちっつーことです。

そ、そうですか_(^^;)ゞ。臆病なだけなんだけどなー。とはいえ、ときたま「ただの動物」に戻るっていうのも大事なことでしょうね。


日々是作文

日々是作文



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後悔とか期待とか、でもね

ときどき後悔するようなつぶやきをしてしまう。

言葉というのは怖いもので、いったん口に出すとちょっとした呪いをかけたようになる。心に浮かんだままでとどめておけば良いのかというと、それも違う。

じゃあ、ネガティブな言葉が出てきたらどうしたらいいのか。

言い換えてみてはどうだろうか。

「私には○も△もできない」を「私も◻や▽ならできる」という風に。どんなことにも色んな面があるはずなのだけど、私などはだいたい一つくらいしか焦点を当てられない。ネガティブになっていたら、きっとその面しかスポットライトを当てられず、他の面を暗く見えなくしている場合が多い。

「自分で自分を褒めてあげなかったら、じゃあいったい、誰が褒めてくれるんですか」とアイドルの誰かが真剣な顔で言っていたのを印象的に聞いたことがある。

そうなんだな。誰だって不安で、辛くて、疲れてて、どうなるかわからなくて……。そんなとき自分を責めるんじゃなくて、ねぎらってあげなきゃいけないじゃないか。

そういう大事なことをときどき忘れてしまう自分がいる。放っておくと、すぐ否定ばかりして、勝手にどんどん落ちこんでいく。アホである。

何でそうなるのかなぁ。

そうか、自分に期待し過ぎてるのか。私はここまでできるはずなのに、こんなことしかできなくて、みたいに過大評価してるんだ。それだって悪い面ばかりじゃないだろうけど。限度というものがあるよなぁ。

あるがままに生きるって憧れるけど、それって、深い悟りを開かないと難しいのかもしれない。達観とか。

うん。でも、「とりあえず、やってみるか」くらいで生きるしかないか。



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「孤独の発明」とは何か

2日前に少しだけ孤独について考えた。

孤独にも型があるのだろうか。 - kai8787の日記

いったい孤独というのはどうして生まれてくるのか。孤独が生み出すものとは何なのか。

ポール・オースター『孤独の発明』は2つの物語からなる。どちらも孤独をテーマとしている。

1つ目は「見えない人間の肖像」。オースターの父に関する物語だ(オースターのモノローグなのだが、著者は自伝ではないとしている)。家族とうまくコミュニケーションできずに亡くなった父の孤独を何とか理解しようとしているうちに、オースターはある事件に行き当たる。それは父にとって過酷なものだった。

2つ目は、作業場みたいな部屋で「記憶の書」という本を書き続ける男の話。Aは「機械と、痰壺と、汗のための場」に住みながら記憶の書という本を書いている。本を書くという孤独な作業。孤独の発明品としての本。

記憶の書には様々な事物ー旅の記録、会った人々、息子のこと、読んだ本の一節、美術館の絵、子どもの頃の思い出が書き出されていく。

読んでいると、一人の作家の「書く」という行為を見まもっているような錯覚を覚える。そう、一種の文学論の聞いているかのような。

書くことは記憶すること、と同時に記憶を手繰ること、それができるのは孤独の最中にいるとき。そして作家は一人で部屋のなかを歩きまわり、記憶の断片に想像を羽ばたかせ物語を紡いでいく。

彼は目を覚ます。彼はテーブルと窓のあいだを行ったり来たりする。彼は腰をおろす。彼は立ち上がる。彼はベッドと椅子のあいだを行ったり来たりする。彼は横になる。彼は天井を見つめる。彼は目を閉じる。彼は目を開ける。彼はテーブルと窓のあいだを行ったり来たりする。
彼は新しい紙を取り出す。それをテーブルの上に広げて、これらの言葉をペンで書く。
それはあった。それは二度とないだろう。思い出せ。

この本はまだ世に出ていない頃のオースターの魂の吐露である。だからなのか、苦悩や孤独の香りが舞っている。


孤独の発明 (新潮文庫)

孤独の発明 (新潮文庫)

孤独の発明

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挑戦してみたこと

昨日は少しがんばった。電車に乗ってみたんである。なぁーんだそんなことかという人は多いと思うけれど、あまり人に会わない生活をしていると、電車に乗るのがとても難しくなる。

これはわかる人にはわかると思うけれど、ちょっとピンとこないなという方には、一人でのんびりお風呂に入っていたところにいきなり大勢の人がやってくる場面を想像してもらえると、少しはわかってもらえるだろうか。

昨日は、一人では乗ったわけではなくて、友人に付き添ってもらい、電車に少し乗っては休むを繰り返した。

助かったのは、最近は改札内にカフェとかのお休み処があることだ。30分くらい休むのにちょうどいい。後は待合い室とかで少しずつ休んだ。

おかげで今日は寝込んでいる。昨日はそれほど感じなかったけれど、やはり相当に疲れてしまった。

それでもやらないよりずっといいと思っている。そうじゃないと、できないことだらけになってしまうからだ。友人にも感謝している。「どうせ用事があるから」と付き合ってくれた。彼女が用事を済ませるタイミングで、私は駅で座って休ませてもらっていた。ところどころに用事のある彼女と、休みたい私のタイミングがうまく合致したのだ。

できれば今度は一人で電車に乗ることに挑戦してみようと思う。一駅からでいい、焦らず一歩一歩やっていこう。

孤独にも型があるのだろうか。

感情ってどこから生まれてくるんだろう。例えば、母性愛なんかは子どもができたらごく自然におこるって思っていたんだけど、この本のなかで話し手たちはそれと違う意見を持っている。

内田樹×名越康文×西靖『辺境ラジオ』は、ラジオ放送を書き起こした本なのだが、精神科医名越康文は次のような発言をしている。

実は「自然に愛情が湧いてくる」とか「親子なんだから情は通い合うもの」という考えは絶対に違う。そうではなくて、ある「型」にはまる、もしくは「型」を演じることで、初めて内発的なものが生まれる。

思想家の内田樹もこれに同意する。「感情は外部から入ってくる」と。

つまり、親という「型」を演じていると感情が後からついて出てくるというわけだ。茶道など「型」のある儀式的なものをやると、自然と気持ちが落ち着いてくることがある。そんなことなのかなぁ。

今日、私はふと孤独を感じたのだけども、それにもやはり型みたいなものがあるんだろうか。家で一人でいて、何をする気も起きず、自分自身に目を向けるという「型」。あるいは、仕事帰りの人であふれかえる駅周辺で、ただ歩いているだけの自分を意識するときに起こる孤独も、「何の役割もない、ただそこにいるだけの自分」という「型」にはまっているだけなのだろうか。

感情というのは成長していくものだ。ちょっとした思いがどんどん膨らんで、自分では抱えきれないとき、爆発する。もしも、感情が「型」から生まれるのなら、「型」を少しシフトすることで、負の感情というのはしぼんでいくはずだ。

自分が落ち込んだときに、少しだけ、「型」というものを意識して、崩してみようかなと思う。


辺境ラジオ

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雨に閉じ込められた午後にー映画『始終着駅ターミナル』

よく言われることだけれど、別れに際しては、女性の方がさばさばしており、男性の方がひきずりがちだという。それは何となく私の周りを見ていてもそうかもしれないと思う。もちろんそうじゃない人もいるでしょうけども。

別れをひきずりたくない人と、どうしようもなくひきずってしまう人。そこにはどのような違いがあるのだろうか。愛の深さ?繊細さ?断ち切るエネルギー?

心が残ってしまうとき、人は生き方を変えざるを得なくなる。そして思い切るときもまた。


佐藤浩一主演『始終着駅ターミナル』を見て、そんなことを考えた。

一児の父で単身赴任して裁判官として働く鷲田(佐藤浩一)の前に、学生時代の恋人・冴子(尾野真千子)が被告として現れる。彼女との逢瀬を重ね、一緒に生きること決意した鷲田だったが、冴子は別の選択をする。それはあまりにも衝撃的な愛の選択だった。傷心の鷲田はぬぐいされない罪の感覚を抱えて、判事を辞め、妻子と別れ、国選専門の弁護士として釧路でひっそり暮らしていく。
ある日、弁護を担当した若い女性・敦子(本田翼)が鷲田の自宅を訪ねてきて……。

佐藤浩一の抑えた演技が切々と男の不器用な生き方を訴えてくる。他方、女性たちは潔く捨て去っていく。

原作は桜木紫乃『始終着駅ターミナル』

起終点駅(ターミナル)

起終点駅(ターミナル)


佐藤浩一は好きな俳優の一人だ。存在感があるなぁ。そして尾野真千子がとびきり美しい。痛切な運命をたどる女性を印象的に演じていて心に残った。本田翼も家族と縁の薄いはかない女性の情感を漂わす演技で好感を持てた。

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いつのまにか過ぎてたブログ2ヶ月目+ボランティア

ブログを書き始めてからいつの間にか2ヶ月を過ぎていました。ここまで書き続けられてきたのは、ひとえに読んでくださっている方々のお蔭です。本当にありがとうございます。

体調を崩しての療養生活のなかで、ブログを書くことが楽しみの一つになっています。読んでいただくだけでも充分なのに、☆をつけてくださる方やブログ村のバナーをポチってくれる方までいらして、とても励みになっています。

読書するにも、ブログに記録をつけたり、感想を書くようになってからの方が、しっかり読めている感じがします。

それから、ときどき、落ち込んだりして愚痴っぽいこと書いてしまうこともあったのですが、あたたかく見守ってくださりほっとしています。

これからも、気が向いたら読みに来ていただけると嬉しいです。


もう一つ、ご報告があります。昨日、何とかボランティアに行ってこられました。久しぶりだったので、2時間で疲れてしまったけれど、とりあえず行けて良かったです。

もともとボランティアには、週2回ペースで行かせてもらっていました。すぐには無理だけど、だんだんと体調の波をうまくコントロールできるようになったら、またコンスタントに参加していきたいと思っています。

ブログもボランティアも自分のペースでやっていかれたらいいなぁ。



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