kai8787の日記

編み物と散歩と読書とダイエット

プレゼントーより良い依存関係の模索

うさぎさんの砂時計をもらった。前から砂時計が欲しかったのでとても嬉しい。しかも、大好きなうさぎさんがいて、とてもかわいい。砂時計はお茶をいれるときに使う予定です。

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母からも荷物が届いた。暖かそうなマフラーとブランケット、そして大根ハチミツ飴。お母さんらしいな。この前電話であまり元気よく振る舞えなくて「調子悪いの?」って気づかれちゃったからなぁ。心配かけてしまったみたい。

親に見栄をはることはないのだけれど、他に何もできないから、心配だけはかけたくないという思いが強い。

ふと思い出したのだけど、脳性マヒで電動車椅子を使っている小児科医・熊谷さんが「依存先は複数あった方がいい」と書いていた。依存というとあまり響きは良くないかもしれないけれど、人は全く他の人に頼らないで生きていくことはできない。だから、頼る先を一人に集中するのではなく、分散することで自分も相手も負担が少なくて済むという話。

例えば、親にだけ頼っていたら、親も大変だけど自分も辛く切なくなってしまう。しかも、親がいなくなったら、その先どうしたらいいのか途方にくれるだろう。だから、熊谷さんは友人やヘルパーさんや職場の仲間に少しずつ頼ることで生活している。

そういえば、日本では「人に迷惑をかけるな」って言われるけれど、インドでは「あなたは人に迷惑をかけながら生きるのだから、人にも優しくしなさい」と教わるのだそうだ。何だかとても穏やかな雰囲気が漂ってきていいなと思う。「迷惑をかける」でなく、「優しいプレゼントをもらう」って感じで。

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物語ーイマジネーション

どんな職業でもそうだと思うが、30年以上も続けていれば一家言あるわけで、村上春樹さんも割りと赤裸々に小説家という仕事について語っている。

村上春樹『職業としての小説家』
≪内容≫

  1. 小説家は寛容な人種なのか
  2. 小説家になった頃
  3. 文学賞について
  4. オリジナリティーについて
  5. さて、何を書けばいいのか?
  6. 時間を味方につけるーー長編小説を書くこと
  7. どこまでも個人的でフィジカルな営み
  8. 学校について
  9. どんな人物を登場させようか
  10. 誰のために書くのか
  11. 海外に出て行く。新しいフロンティア
  12. 物語のあるところ・河合隼雄先生の思い出

あとがき

ラインナップを見ればわかると思うが、小説家になりたい人にとっては、作家の一例として色々参考になる本だろう。

私が面白いなと思ったのは、イマジネーションを「脈絡を欠いた断片的な記憶のコンビネーション」だと言っているところ。脈絡のない記憶を有効に組み合わせることによって物語が生まれてくる。一つひとつのなにげない日常のマテリアルの組み合わせ方でマジックが起こるという。

私は難しい文章が不得手なので、簡単な文章の斬新な組み合わせで読ませてくれる物語は大歓迎なのです。

そして職業・人間の私はふむふむと読んでいて、以下の文章で立ち止まった。

もしあなたが何か自分にとって重要だと思える行為に従事していて、もしそこに自然発生的な楽しさや喜びを見出だすことができなければ、それをやりながら胸がわくわくしてこなければ、そこには何か間違ったもの、不調和なものがあるということになりそうです。そういうときにはもう一度最初に戻って、楽しさを邪魔している余分な部品、不自然な要素を、片端から放り出していかなくてはなりません。

自分が何を求めているかではなくて、何を求めていないのかを探る。たぶん文章を書くとき、推敲するときの村上さんの姿勢なのだろうが、これって人生で迷いが生じて立ち止まったときにも、考え方としてありなんじゃないかな。

不必要なものを棄てることで自然と自分にとって大切なものが見えてくる。加算するのでなく減算する考え方。私みたいに頭でっかちな人間にはよい方法かもしれないなと思った。


職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (Switch library)

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【編み物エッセイ】友情の始まり


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椿の花巾着できました。花のモチーフを作ってつなげて作ります。花びらにちょっとした工夫があって立体的に見えます。


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赤い椿の花言葉は、「謙虚な美徳」「気取らない魅力」「見栄を張らない」「慎み深い」「高潔な理性」

強い匂いを放たないということで、こういう印象があるのだそうです。散るときにも何だかひっそりと落ちていきますね。


さて、花言葉を使った散文です。タイトルは「友情の始まり」

《どこにでもある街のどこにでもあるパン屋には気取らない魅力があって、見栄を張らず普段着で出入りできる。
ある時ある街でふと入ったパン屋で、私は得難い友人と知り合うことになった。彼は高潔な理性の持ち主でありながら慎み深い人柄で、謙虚な美徳を持つ紳士である。
だから、パン屋で私が支払い金が不足して往生しているときに、知り合いかのようにふるまってくれたのだ。私は礼を言い、自分が売れない脚本家であることを告げた。すると彼は「お時間があれば、ぜひお芝居の話を聞かせてください」と言い、近くのカフェーに誘ったのだ。
実は彼は役者志望であったが、家督を継ぐため断念せざるを得なかったという。私たちは時を忘れて語り合い、3日後に「椿姫」を一緒に観に行く約束をして別れたのだった。》

何となく19世紀のパリが舞台みたいな文章になりました。今日、散歩しながらこの続きはどう展開するかなぁと考えてみたのですが、椿姫を演じた女優がヒロインになって友情か恋かというお話に発展しそうです。あくまで私のただの空想なのですが。

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散歩の記録 その3

天気の良い日とか、ともかく一日に一度は外に出たいと思っている。今日も体調があまり良くなくてドアを出るまで時間がかかったけれど、ゆっくりゆっくり歩き出したら、空の青さがとても気持ちよくて、がんばって外に出てきて良かったなぁと思った。

いつものお気に入りの川沿いの散歩道を歩いていたら、瑠璃色のカワセミさんに出会った。

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色鉛筆で描いてみました


小枝から飛んで行ってしまわないように、そーっと回りこみながら見させてもらった。きれいだな。かわいいな。

しばらく行くと、今度はちょっと色の薄いカワセミさんがいた。2羽も見られるなんてラッキー。さっきのカワセミさんとカップルなのかなとか思ってちょっとウキウキした。

しばらく休んでからの帰り道はしんどくて、家に戻ってからグッタリしてしまったけど、おかげで心が軽くなった。

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恋の話

今は激しい恋よりも静かな恋がしたいな。別に忍ぶ恋というわけじゃなくて、ぼっと燃え上がるのでなく、穏やかな光のような淡い恋。

奪うんじゃなくて、そっと寄り添って歩き、何も話さなくてもずっと二人でいられるような恋。

胸のなかにほんわか暖かいものが灯っているような優しい恋。

オスカー・ワイルド『小夜啼き鳥と薔薇』に出てくる小夜啼き鳥は、恋する青年の望みを叶えるために、胸にトゲを刺しながら歌い続け、深紅のバラをつくり出して命を落とす。何故なら「恋は、哲学よりいっそう思慮に富み、権力よりいっそう力強い」と信じていたから。

ここから結末を書いてます
青年は小夜啼き鳥のことは最後まで知らない。バラさえあれば彼女とつきあえると思っていた青年はあっさりふられてしまう。そして恋などくだらないとうそぶく。

幸福な王子/柘榴の家 (古典新訳文庫)

幸福な王子/柘榴の家 (古典新訳文庫)

※『小夜啼き鳥と薔薇』はこの本の2つ目の物語です。

バラ1本で彼女の心を得ると思う、「思慮深い」とはいえない青年の恋を、小夜啼き鳥は何故命を落としてまで後押ししたのだろうか。恋に恋してしまったのかな。とても切ない。

そういえば、少し前に読んだ小説にこんな一節がある(平野啓一郎『マチネの終わりに』より)。

なるほど、恋の効能は、人を謙虚にさせることだった。年齢とともに人が恋愛から遠ざかってしまうのは、愛したいという情熱の枯渇より、愛されるために自分に何が欠けているのかという、十代の頃ならば誰もが知っているあの澄んだ自意識の煩悶を鈍化させてしまうからである。

愛されるために引き受けなければならない「煩悶」は、自分を見つめる純真な問い。恋を実らせるのに必要なのは、「私なんか」を乗り越える少しの勇気とバイタリティー。

そういうものが私には欠けているなぁ。人間と深くつきあうことに恐怖心があるとまでは言わないけれど、どうも一人の人にそこまで思い詰められないというか……やっぱり「澄んだ自意識の煩悶」に耐えられないのだろうか。それ以前に「澄んだ自意識」がもはや持てないのかも。つまり、純粋さがない⁉

んー、海に行って波の音を聴きたくなってきた。

マチネの終わりに

マチネの終わりに

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幸福って何?

『幸福な王子』は子どものころ絵本では読んだことがあったけれど、文字だけで読むのは初めてだ(『幸福の王子』という訳もありますね)。今回、読み返したのは、一つには作者のオスカー・ワイルドの厳しい生涯を知ってからだと、また別の感慨があるのかなぁと思ったから。それから、実はこの物語があまりにも悲しくて小さい頃の私は絵本を再び手に取ることができなかったので、大人になった今、冷静に読み返せるかどうか試したかったのだ。

正直にいうと、もう切なくて途中で読むのを止めようかと思った。けど、頭がじんじんしてうーうー言いながら最後まで読んだ。そして、驚愕したのである。結末が記憶と違う!

私の遠い記憶では、王子は美しい宝石も金色の輝きもなくし、燕は死んでしまい、もう神も仏もないような救いのない最後だったんである。しかし、神はちゃんといた。救いはあったのだ。げげげ!幼い頃の私よ、ここんとこで良かったぁと思わなかったのかい?

もしかして、途中で読むのを止めてしまったのだろうか。それは大いにあり得るんだけど、どちらかというと神の印象がものすごく薄かったんじゃないだろうか。フランダースの犬もそうだけど、天国に行けたからって何だっつーの。この世での辛さがそれで報われるのかっていう気持ちがどこかにあったんじゃないかな。

きっと王子の幸福なんてわからなかったんだろう。今だってわからない。優しい燕と王子の身を削る施しに感嘆し、それに対して施しを受けた側のあまりの無反応さ加減(どころか王子を引き倒して溶鉱炉に放り込む!)にため息をつく。施しってそういうものだという意見もあるだろうけど。

幸福って王子のことなのかな、それとも施しを受けた民のことなのかな。でもな、と大人の私は思う。民は一時的には潤ったのかもしれないけど、また貧しくなり、飢えていくのだろう。だって人間はちっともそれを改善しようとしていないんだもの。

王子と燕は一つひとつの行為で束の間の幸福を味わっていたのだろうか。それも違うような気がする。きっと、やってもやっても無くならない貧しさや飢えに目が眩む思いだっただろう。そしてもう、大事な仲間の燕を亡くし、自分にはもう何もできないと知ったとき王子の心臓が文字通り張り裂ける。うぅ、そう考えるとやっぱり救いのない物語だなぁ。

そういえば、こんな話を聞いたことがある。川を流れてくる赤ん坊を必死に助けている人々がいる。もう一方、川上で赤ん坊を川に投げ込んでる人々がいる。川下の人々は本当は川上に行って投げ込むのを止めさせれば良いのだけれど、川下の人々には遠い川上まで行く余裕がない。

川上に行けずとも赤ん坊は助けなきゃいけない。だから、幸福な王子と燕のしたことが無意味だとは思わない。

人間の幸福には、快楽や歓喜みたいなものもあるけれど、人との信頼関係とか自分がここにいていいんだって思える気持ちがとても大切なように思う。王子は人々を助けることに生き甲斐を感じ、目が見えなくなってからは仲間の燕を信頼していたんだろうな。

幸福な王子―ワイルド童話全集 (新潮文庫)

幸福な王子―ワイルド童話全集 (新潮文庫)

こちらは、新訳。

幸福な王子/柘榴の家 (古典新訳文庫)

幸福な王子/柘榴の家 (古典新訳文庫)

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ゆるくつながる

pha『持たない幸福論』読了。

毎日ぎゅうぎゅうの通勤電車で通い、9時から5時まで働いてまた満員電車で家にたどり着くことが、以前は私の「普通」だった。けれど、今となっては彼ら彼女らはスーパーな存在だ。私にはやろうとしても無理だとわかっているから。

そう諦めることができたのは、働けなくなってから随分と年月を経てからのことだった。その間ずっと私は「普通」から「落ちこぼれ」たくないと必死になって自分を鼓舞したり責めたてたりしていた。

phaさんは言い切る。

多くの人が普通にこなせないものを「普通の理想像」としてしまっているから、みんなその理想と現実のギャップで苦しむのだ。そんな現状と合っていない価値観からは逃げ出していいと思う。

こうであらねばならないという決めつけは、それが自分の身の丈に合わないものであれば、真綿で自分の首を絞めることになる。phaさんは病気にまでならなかったが、不調のためサラリーマン生活に耐えられなくなり辞職、その後できるだけ働かない代わりに、お金を使わない生き方を選ぶ。

住居費を節約するためにシェアハウスを運営してるのもその一環だが、シェアハウスはそれだけの目的ではない。「普通」から外れた人間に必要なのは、人とのつながりと居場所だという。

貧困というのは、単に経済的な問題ではなく、助け助けられる人との関係や困ったときに頼れる先などが限りなく少なくなることだというのは、他の本でも読んだことがあった。

シェアって大事だなって思う。自分だけで独占するのでなく皆で利用すれば、所有しなくてよい。それは住まいだけでなくて、いわゆる家族も固定しなくていいんじゃないかとphaさんは言う。ガチガチでなくてふわぁーっと繋がるゆるい関係を複数築くと、「この人が居なくなったら生きていけない」というギリギリ感がなくなっていいかもしれない。

pha さんは基本的に自分を受容していると思う。自分に過度な期待もしないし、物や人に対する独占欲も少ないように思う。それはとても心地よいことなんだろうなと感じて、読んだ後、気持ちが軽く自由になった気がした。

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