雨に弦楽四重奏~ドラマ「カルテット」
雨が近づくと気圧の関係なのか頭痛がして熱っぽくなる。昨日の午後そんな感じだったので、今日は雨。傘をさして出かける体力はないので、家で過ごすことにした。
雨の日には、植物が洗われて綺麗に見えるので、本当はお散歩に行きたい。けど仕方ない、あきらめる。
録画してあるドラマか映画を観ようかなと思い、「カルテット」を流す。展開が早すぎず緩すぎずで丁度いいし、配役も気に入っている。松たか子、満島ひかり、高橋一生、松田龍平、もたいまさこ……。
それぞれに秘密を抱えて集まった売れない音楽家4人が、冬の軽井沢の別荘をベースにカルテットとして演奏活動をしていくなかで、少しずつ秘密が明かされていくという設定。脚本は、坂元裕二。
抑えた演技がいい。コミカルで真剣でグッとくるセリフが散りばめられている。映像もきれいだ。もう、終盤に近いけれど、お薦めのドラマである。
(お金はかかるけれど、ティーバというポータルで1話から見られるようです)
第1話より
「同情じゃないですよね。あの人に自分たちの未来を見たからですよね。私たち、アリとキリギリスのキリギリスじゃないですか。音楽で食べていきたいって言うけど、もう答え出てると思うんですよね。私たち、好きなことで生きていける人になれなかったんです。
仕事にできなかった人は決めなきゃいけないんです。趣味にするのか、それでもまだ夢にするのか。趣味にできたアリは幸せだけど、夢にしちゃったキリギリスは泥沼で。
ベンジャミンさんは夢の沼に沈んだキリギリスだったから、嘘つくしかなかった。そしたら、こっちだって奪い取るしかなかったんじゃないですか」
趣味にできたアリと夢の沼に沈んだキリギリスか。なかなかシビアな表現だなぁ。でも、アリだって夢をみていいし、妥協したキリギリスもいるだろう。それで食べていけないからといって、趣味だと言い切れないところが私にはある。売れない歌唄いや詩人や芸人の友だちがいるせいかな……。
詩人の友だちから届いた写真
花の名まえ
パステルカラーのお花のシュシュができました。花びらの色を微妙に変えて、ニュアンスを出しています。刺繍糸やレース糸を使いました。リングゴムに編みつけたレースの萌黄色も気に入っています。
ところで、この花には名前がありません。なので、勝手につけちゃうことにしました。ポリフォニー。ちょっと可愛らしくて多層的で良いでしょう?
調べると、ポリフォニーというのは、二つ以上の異なるメロディが流れるという音楽用語とのこと。文学的には、複数の登場人物の言葉で構成されるドストエフスキーの小説を、モノローグ小説と対比して、ポリフォニー文学の典型としているそうです。多声楽とも訳される言葉。ふむふむ。興味深いですね。
ドストエフスキーかぁ。『罪と罰』は読んだけど、『カラマーゾフの兄弟』は厚すぎるのにびびって、まだ読んでなかったっけ。今度、挑戦してみようかな。
編むのに参考にした本です。
はじめてのかぎ針編み 刺しゅう糸で編む 色いっぱいの髪飾り&アクセサリー100 (朝日オリジナル)
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ふんわり、何となく、わかる。
絲山秋子『ニート』読了。
小説家になった「私」が、昔つき合っていた「キミ」のブログを見て、「キミ」が相変わらずニートであって非常に困窮していることを知る。
「私」もニートだったけれど、「物書きになりたいという夢だけで、世間にずいぶん許してもらっていた」。
「私」には「キミ」がニートでいるしかないことが、ふんわりとわかる。ニートにしかなれないと決めつけているわけではなく、すんなり働けると思っているわけでもない。
ただ、「キミ」がニートでいることが、何となく了解できるのである。この主人公の受け止め方に、私は人間の面白味を感じる。0か1かでなくゆるく受け入れることーー人間は弱い部分を誰しもが持っていて、それに共感できるところが少しずつある。だから、悩んだり、肩を叩き合ったりするんだろう。
この作品は、その辺りの微妙で繊細なこころのあり様を描き出しているように思う。
- 作者: 絲山秋子
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この短編集には表題作の「ニート」のほか、「ニート」の後日談となる「2+1」、女性同士の友情の距離感と切なさを綴った「ベル・エポック」、草野心平の詩が印象的な「へたれ」、スカトロマニアの気だるさが漂う「愛なんかいらねー」が収録されている。
蛙語で綴られる草野心平「ごびらっふの独白」の日本語訳も良かった。
幸福といふものはたわいなくつていいものだ。
おれはいま土のなかの靄のやうな幸福につつまれている。
地上の夏の大歓喜の。
夜ひる眠らない馬力のはてに暗闇のなかの世界がくる。
みんな孤独で。
みんなの孤独が通じあふたしかな存在をほのぼの意識し。
うつらうつらの日をすごすことは幸福である。
皆、孤独を抱えて生きている。でも、それぞれの孤独が通じあうということが確かにあるーーそんなことをぼんやりと嬉しく感じながら、なんとなく生きていく。それは幸せなことだ。
味わい深い詩である。
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シェアハウスってどんな感じ?
最近、シェアハウスに興味があって、検索して物件を見たりしている。東京でも3万円台で住めるものから、カフェみたいな共用スペースのあるソーシャルアパートメントまで色々ある。
自分がシェアハウスで暮らせるかなと想像してみると、ちょっと楽しそうでちょっとしんどそうな気がする。元気のあるときは交流を楽しめるだろうけど、そうじゃないときはあんまり人に会いたくないからなぁ。
そういうときは自室にこもっていればいいのか。でもなー、トイレとかお風呂とか共用だから、そうもいかないし。おっと、今あんまり調子良くないから、マイナス面ばかり考えちゃうな。いけない、いけない。
そんなわけで、シェアハウスに関する軽めの話を読みたいなと思い、小路幸也『荻窪シェアハウス小助川』を手に取った。ほっこりする、ハートウォーミングな小説だ。
シェアハウス小助川に集う住人は基本的に善人。住人の一人、家事が得意な19歳の青年の日記のような軽やかな文体で、シェアハウスの日々が綴られていく。
もちろん事件は起きる。それをきっかけにして新たな生き方を選択する者も出てくる。でも、手軽で気楽にすっと読める物語だ。そうそう、家事ができる男ってかっこいいと思う。
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ダメさを許す人間はダメか
ダメさを責める人がいる。説教したりとか怒ったりとか。私の苦手なタイプだ。そういう一方通行なのより、私はダメさ加減を笑い合える人間関係が好きだ。ダメと共に生きていくのも、ダメの辛さをわかっているのも本人だからだ。
たまには、ダメをこじらせるときがある。必要以上に自分を責めてしまったり、自分を無価値な人間だと蔑んだりしてしまうこともある。
でも、克服しようのないダメさがあることを私は知っている。私は、私のダメさを抱えて、あっちこっちにぶつかりながら生きている。そして、しょうがないなと笑う。
私のダメさは、例えば悲観的将来没落妄想にとらわれているところ。ちょっとした悪いことがあっても、すぐにこのままじゃ、あーすることもこーすることもできないし、何もかもダメになってしまう。うわーん状態になる。
 ̄(=∵=) ̄《そのことは今一回しか起こってないのに、この先ずっと続くって思っちゃうんだね。》
そうなんだ。良くないことって、その都度違う場面や異なる状況で起きてることなのに、思い詰めちゃう。
 ̄(=∵=) ̄《悪いコトの内容も限定して受け止めないとね。今日は大好きなオオバコはなかったけど、タンポポはあったとかさ、悪いコトばかりじゃないし、今度はオオバコのありかを友だちに聞いておいてもいいし、そもそもオオバコが生えてないのは私のせいじゃなーい!》
そうか。自分で対処できることはすればいいんだよね。それ以外は自分の力では防ぎようがないことだから、自分を責め立てちゃいけない。
でもでも、頭ではわかっても、またわあーんてなっちゃうかもー。
 ̄(=∵=) ̄《ダメだ、こりゃ》
感情の穴に落ちたときには
私はどちらかというと悲観的な人間だ。ただ、割りと単純な性格なので日々のちょっとした幸せを感じて、将来の不安をまぎらわして生きている。
楽観的とか悲観的な性格というのは、やはり生来のものなのだろうか。若くてエネルギーに満ちていても悲観的な人はいるし。
楽観的な人には根拠のない自信がある。今日とか明日とか、せいぜい一週間くらいのことを思って生きている人が多いと思う。
反対に悲観的な人間というのは、先のことまで考え過ぎてしまう。一見何かしら根拠があるように思うけれど、一寸先がわからないのが世の常なので、こちらもあまり根拠がないといえばないのだ。
あんまり先のこと考えても仕方がないと分かっていても、気がつくと落ち込んでいることがよくある。こういうのは理屈じゃなくて、もう脳の癖みたいなもので仕方がないのかなぁ。
今日読み終わった村上春樹の『東京奇譚集』にこんなセリフがある。
「嫉妬の気持ちというのは、現実的な、客観的な条件みたいなものとはあまり関係ないんじゃないかという気がするんです。つまり恵まれているから誰かに嫉妬しないとか、恵まれていないから嫉妬するとか、そういうことでもないんです。それは肉体における腫瘍みたいに、私たちの知らないところで勝手に生まれて、理屈なんか抜きで、おかまいなくどんどん広がっていきます。わかっていても押し止めようがないんです。幸福な人に腫瘍が生まれないとか、不幸な人に腫瘍が生まれやすいとか、そういうことってありませんよね。それと同じです」
負の感情が広がっていくと命を落とすこともある(このセリフを言った女子大生は自殺してしまう)。人はそこまで追いつめられるのだ。他人にその辛さが本当にわかることはない。
ときどき、そういう深い穴に落ちて、わぁーっとなってしまうことがある。感情の大波が押し寄せてきて、理性を凌駕してしまうのだ。そんなとき、この腫瘍の話を思い出してみよう。私の意志と関係なく、私を蝕んでいく様子を。そうすれば逆に、実体のない感情を手のひらに乗せて眺めることができるかもしれない。
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どの話も喪失をめぐる物語だ。個人的には先にセリフを引用した「品川猿」が、村上春樹らしい異世界があって良かった。
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