幸せの贈り物
かきつばたの花巾着ができました。色を変えながら編んでいきました。開け口と持ち手が花模様になっていて、ちょっと苦労しましたが、気に入っています。
かきつばたの花言葉は、≪幸運は必ず来る≫、≪幸せはあなたのもの≫、≪贈り物≫です。
さて、花言葉を使った物語を書きました。良かったら、読んでください。
僕が19歳のときに亡くなった父が口癖のように言っていた言葉がある。
「いいか。どんなに辛いことが何度も押し寄せてきて、つぶれそうになっても、『幸運は必ず来る』って思えよ。そうすれば、どんな苦難も必ず乗り越えられるからな」
父の人生は決して楽ではなかった。祖父は幼いときに他界していて、祖母が小さな金物屋を営みながら細々と暮らしていた。けれども時代の波で商店街が廃れていくのとともに廃業に追い込まれてしまった。祖母はもともと身体が弱かったので、父は中学を卒業してすぐに働き始めた。
本当は新聞配達をしながら定時制高校に通いたかったが、3つ違いの弟を進学させてやりたかったので、昼と夜に肉体労働をかけもちでやった。弟は高校を卒業すると「大学へは自分の力で行くよ」と笑った。
その叔父は父の葬式のとき、棺に手をかけ、肩を落として泣いていた。しばらくして僕の傍らに来て、「困ったことがあったら、ぐずぐずせんと俺のところに来いよ」と励ましてくれた。今では、小さい印刷会社の社長をしている。
叔父の高校の卒業式が終わってまもなく、父は工事現場で事故にあい、左足の膝から下の切断を余儀なくされた。父は義足をつけて懸命にリハビリをした。そのとき知り合ったのが作業療法士をしていた母だった。二人は、父がだんだんと歩けるようになるごとに、少しずつ愛を育んでいった。
父のプロポーズの言葉は、
「君を幸せにできるかはわからない。だけど、君と一緒にいれば僕はどんな苦労があったって幸せになれる」
だった。
母は微笑んで
「幸せはあなたのものなの?あなたが幸せなら私だって幸せになれるわ」
と応えた。
煙になって天に上っていく父を見上げながら、母がつぶやいた。
「お父さんがくれた最高の贈り物はおまえだよ」
さぁ、もう一度。 Re-born
自分ではどうしようもないことがある。どんなに思ってももはや叶わない。もう努力とかそういうのでなく、誰かに振り向いて欲しいのにそれは無理なのだとわかってしまったりとか。
挫折とまでいかなくても、これまでとは違う新たな道へ一歩踏み出さないといけないときもある。まっさらな気持ちで、せいのって感じで。
友だちが背中を押してくれるか、自分で踏み切るか、何かしら大きな流れみたいのにさらわれて結果飛び出すことになるのか、その時々で違うけれど、どこかでふんぎりをつけないと辛いばかりだ。
泣いたり悩んだりもんもんとしたり食事が喉を通らなかったりするけど、失ったものはもう戻ってこない。だから、思いを立ち切る。最後はやっぱり自分で決めることになる。
この本は7人の作家の短編集。『羊と鋼の森』の宮下奈都の名前があったので手に取ってみた。まだ、デビュー間もない頃の作品だ。受験に失敗し、行く気のなかった高校に通う女子高生があることに気づくまでの物語が、淡々と綴られている。
他の作品も「再生」や「発見」「気づき」をテーマにしている。ほろにがかったり、秘めたる思いにぐっときたり、何だかティーンエイジャーの頃の懐かしい思いに駆られた短編集だった。
宮下奈都『よろこびの歌』
福田栄一『あの日の二十メートル』
瀬尾まいこ『ゴーストライター』
中島京子『コワーリョフの鼻』
平山瑞穂『会ったことがない女』
豊島ミホ『瞬間、金色』
伊坂幸太郎『残り全部バケーション』
私に道を聞かないで
今日はそんなに寒くなく、よく晴れて気持ちが良かった。あんまり人と出会わないコースを散歩していくと、横断歩道で40代くらいの男性が「今日は雨降らないよね」と声をかけてきたので、「はい」と応えた。そのまま男性は通り過ぎて行ってしまったけれど、いったい何だったのだろうと首を傾げる。「空はこんなに青いのに」
帰り道でも同じ横断歩道で50代くらいの男性に駅に行く道を尋ねられた。まぁ、これは普通。私はよく人に道を尋ねられる。一度など、人が大勢いる駅の近くで、頑張って急いで歩いていたにもかかわらず、すれ違いざまに呼び止められて聞かれたこともある。
友だちに言わせると「優しそうに見えて、ちゃんと道を教えてくれそうってことだね」という。
でも、申し訳ないけど、私は道を一本か二本間違って教えてしまうことが多々あって、後の祭りだったりする。ごめんなさい。
おまけに、駅前で友だちとの待ち合わせで座っていたら、隣のおじさんから「この辺りで別荘といったら、どこですか」と話しかけられ、最終的には天然石のブレスレットを売りつけられそうになったこともある。
だから、しっかりしてるように見えるわけではなく、ぼーっとして見えるのだろう。
それに私は決して優しくない。
夏の暑い日、コンビニでアイスを買って鞄に入れ、早く帰って家で食べようと思っていたときに、30代くらいの男性に道を聞かれた。行きたい先が市役所だと言うので、市役所は数年前に駅の向う側に移転して、駅からバスに乗らないと行けませんよと説明して、駅の行き方を教えた。
しばらくすると、また、その人と遭遇して、道を聞かれた。教えた通りの道を行ってないのは明らかだった。その人はちょっと待ってくれといい、パソコンを鞄から取り出して起動し始めたが、なかなかたちあがらず、私はアイスが溶けてしまうことを覚悟した。やっとパソコンで地図を出し、このビルへ行きたいのだと指さしたところは、元の市役所の近くのビルだった。優しくない私はむっとしてぶっきらぼーに道を教えたのだった。
家に帰って、冷凍庫に溶けかけのアイスを入れてから反省した。あの人は古い地図を見ていて「市役所のそばのビル」と思い込んでいたのだろうな。それで、私が新しい市役所の場所を説明してもピンと来なかったのだろう。もう少し、ゆっくり話を聞いて丁寧に教えてあげれば良かったな、悪かったなぁ。私は食い意地がはっているからなぁ。アイスくらいのことであんなに焦らなくても良かったのに。
で、そのとき気づいた。道を一本間違って教えていたことに。うぅ…本当にごめんなさい。
暗闇を語ることー希望
小学生の頃の親友は、自然と人が集まってくる不思議な魅力のある子だった。彼女が何故私と仲良くなったのかはわからない。友人でありながら、私は彼女に憧れのようなものを抱いていた。私は不器用で人を寄せ付けないようなところがあって、柔らかく人を包み込むような人柄の彼女とは対照的だった。
私たちはクラスは違いこそすれ、中学・高校も同じだったけれど、毎日一緒に登下校するような親密さはなくなっていった。そして、私は相変わらずクラスの中で居場所を見つけられずにいた。
ポール・オースター『鍵のかかった部屋』を読み始めてすぐ私は懐かしくその頃のことを思い出した。この小説の主人公「僕」も幼友達ファンショーに畏敬の念と憧れ、その裏返しである嫉妬の感情を抱いていた。
成長するにつれ、次第にファンショーと疎遠になった「僕」のところに彼の妻からの手紙が届く。批評家として活躍していた「僕」は、失踪したファンショーの残していった小説や詩、戯曲の原稿を託されることになる。
ポール・オースターの語り口にはいつも直ぐに引き込まれてしまう。例えば、こんな一節。
暗闇だけが、世界に向かって自分の心を打ち明けたいという気持ちを人に抱かせる力を持つ。…(略)…暗闇について書くには勇気が要る。だがそれについて書くことこそ暗闇から逃れうる唯一の可能性であることを僕は知っている。
暗闇のどこかに出口を見つけ出すという希望を勇気だとして、「僕」は語り出す。その希望に根拠などない。たとえ、真実を語ったとしても出口が見つかるとは限らない。それでも人は勇気を出して、暗闇にのみ込まれないよう、出口を求めて歩んでいく。
小説を読むというのは、暗闇を覗くことなのかもしれない。そして、その暗闇は深いところで自分の暗闇と結びついているから、共感や感動が生まれる。暗闇を持たない人間などいない。ただ、それを語れるかどうかの違いはある。
別に自分の闇をあけすけに語らなくても全く問題ない。小説家も小説という型があるから、魂の深部が引き出せるのだろう。ただ、語らなくては本当に救われないこともあるのだ。闇が文字通り明るみに出ることで解き明かされる哀しみがある。カタルシスはそういうときに訪れるのだろう。
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悩みを打ち明けるということ
「そんなのたいしたことないじゃん」と言われたとき、「そっかぁ、考えすぎかぁ」って思えるときと、「あなたにはそうかもしれないけれど、私にとっては重要なことなんだ」って悲しくなるときがある。価値観の相違といえばそれまでなのだが。
それから、よく言われてることは「人はこう答えてくれると思う人に相談する」ということ。これって否定的な意味合いで言われたりするけど、私は凄いことだと思う。そういう相手をかぎ分ける能力があるってことだと思うから。
悩みが深くて相談できないこともある。親しい人には逆に打ち明けられないこともある。相談しなくても乗り越えられる人もいる。
相談って何だろう。人は何故人に相談したくなるのか。
一つには自分のごちゃごちゃを整理するため。人に話して一つひとつ解きほぐしていくと、だんだん自分がいったい何に悩んでいて何を失いたくないのか、何を脇に置いておけばいいのかが明らかになっていく。その過程がとても重要だと思うのだ。
もう一つには、悩みを自分の言葉で表現できるようになること。とても深刻に落ち込んでいるとき、人は言葉を失いがちだ。「どうせ、わかってもらえない」とか「言ったら軽蔑される」とかいう気持ちがどこかでストップをかけて、自分に向かってさえ言葉が出てこない時がある。ある種のショック状態のこともあるだろう。
そういうときは、ともかく、安心できる場所で、ゆっくりと落ち着いて、ただ話を聞いてくれる人がいるとありがたい。何か具体的なアドバイスが欲しい段階ではないのだ。
 ̄(=∵=) ̄《私なら、いつでも相談にのってあげられるよー。人には人それぞれの許容量があるからさ。その人にとってどのくらい重くてきついのか、他人が判断できることじゃないよね》
蒼い森のなかで憩う
ときどき、人混みの中でひどく孤独を感じていたたまれずにひとしきり部屋に籠ることがある。そういう時は自分とかけ離れた世界に飛び込みたくなって集中的に読書をする。二転三転する物語ではなくて、静物画のような物語を欲しているのだ。
宮下奈都『羊と鋼の森』は、一言で表現すると静謐。読んでいる間、蒼いひっそりとした森のなかで遠くからピアノの音が聴こえてくるような感覚を味わうことができた。
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心象風景として思い浮かべたのは、東山魁夷の『緑響く』という絵。
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新人ピアノ調律師の青年の心がピアノの繊細な調律とリンクして、淡々と丁寧な筆致で描写されていく。まるで青年のまだ幼い白い首筋が見えるようだった。青年が憧れる先輩調律師が原民喜の言葉を紹介している。とても素敵な文章なので思わず抜き書きした。
明るく静かに澄んで懐かしい文体、少し甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体
調べてみると、これは原民喜が堀辰雄の文章を評した『砂漠の花』の中の一節。宮下奈都さんもこういうものを目指しているのかな。
そして、読み終わって静かな気持ちになった私の中ではドビュッシーのベルガマスク組曲(特に第3曲の『月の光』)が鳴り出した。
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