ペンギンの憂鬱
「現在、ロシア語でものを書く最も優れた作家の一人」と称されるアンドレイ・クルコフの代表作『ペンギンの憂鬱』を読んだ。
憂鬱症のペンギンと暮らす売れない短編小説家ヴィクトルの引き受けた仕事は、まだ亡くなっていない人たちの追悼記事を書く仕事だった。舞台はウクライナのキエフ。大物たちが次々と亡くなっていき、ヴィクトルにも不穏な影が近づいてくる。心臓の悪いペンギンの運命は……。
題名に惹かれて手に取った。不思議な小説だ。主人公のヴィクトルはとてもドライな性格で、ペンギンはときどき不眠症だったりする。2人の穏やかな生活の中にじわじわと騒がしさがやってくる。
ソ連崩壊後のウクライナの首都キエフは、ときどき銃声が響いたり、マフィアが暗躍しているところだ。
ただ部屋で原稿を書いているだけのヴィクトルもその原稿が元で、厄介ごとに巻き込まれていく。徐々に忍び寄る恐怖の影に時に怯えながら、それでもどこ吹く風と飄々と原稿を書き続けるヴィクトルだったが、最後に立て続けにあっと驚くような行動力を発揮する。
群れから離されたペンギンはソ連から離れたウクライナを象徴しているのか?私は政治的な物事が苦手なので、正直そのあたりのことはよくわからない。
ペンギンと一緒に散歩したり、湖に行ったりするのがほほえましかった。でも、ペンギンは楽しかったのかな。たまたまテレビに写ったペンギン仲間が消えたあと、テレビを押してしまうペンギンの姿が哀しかった。
- 作者: アンドレイ・クルコフ,沼野恭子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2004/09/29
- メディア: ペーパーバック
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深い森のなかの事件
久しぶりにミステリーを読んだ。マリーア・シェンケル『凍える森』。
1922年、南バイエルンの片田舎ヒンターカイフェックの大きな農家で一晩のうちに6人が惨殺された『ヒンターカイフェック殺人事件』は、ドイツ犯罪史上もっともミステリアスで猟奇的な事件として、広く知られている。
この事件に、著者マリーア・シェンケルはひとつの推理で挑んだ。それが本書2007年ドイツミステリー大賞受賞作『凍える森』である。
この本は証言で構成されている。斬新な試みだ。
被害者の友人や教師、家に立ち寄った郵便配達人や修理工、発見した近所の農夫
たちの証言から浮かび上がるものとは……。
証言者たちの中に犯人がいるのか、いないのか、どきどきしながら読んでいく。ある証言の中に違和感を覚える。「もしかして」という疑念が生まれ、最後に真実が明かされたときに「やはり」と納得する。ミステリーの快感を素直に味わった。
- 作者: アンドレア・M.シェンケル,Andrea M. Schenkel,平野卿子
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2007/10
- メディア: 文庫
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まっさらな気持ち
まだ、ほんの小さい頃、そう、グーチョキパーのチョキがうまくできないくらいの幼い頃、私はくまのプーさんの絵本と白いくまのぬいぐるみ「マコちゃん」が大好きだった。
絵本は兄に油性のサインペンで全てのページにいたずら書きされ、マコちゃんは「汚くなったから」と母に捨てられ、共に号泣することになった。今、思い出してもすごーく悲しい。
そんなことを思い出したのは高橋源一郎の『さよなら クリストファー・ロビン』を読んだからだった。大人のためのファンタジー小説集である。
表題作「さよなら クリストファー・ロビン」は子どもの頃読んだ童話の数々が登場する。最後にくまのプーさんで締めくくられるのだけれど、とても切ない終わりだった。
「峠の我が家」は、私にとっての「マコちゃん」のように、誰でもいただろうごく小さい頃の「友だち」についての話。
「星降る夜に」ーー大学を卒業してから全く働かず、誰にも読まれない小説を書き続けて四十歳になった「わたし」は養ってくれていた女性から「働いて」と言われ、職探しに行く。そこで得たのは、事情のある子どもたちに本を読むという仕事だった。
あどけないが実は哲学的問いかけをする子と、それに丁寧に応える優しくて落ち着きのある父との会話が楽しい「峠の我が家」。最後に鉄腕アトムをモチーフにした哀愁を帯びた物語がある。
死んだ人がやって来て、クラスメートや議員になる奇妙な世界と死んだ人が去っていった後に残されたものを描く「ダウンタウンへ繰り出そう」
アトムとトビオの物語を縦軸に、時間があべこべの世界や突然別の誰かに移行する世界を横軸にした、存在するとは何かを問う「アトム」
それぞれの物語がクラっとするような異次元の世界に誘う。一冊で何度も楽しめ、様々な思いが錯綜する状態にしてくれる本だった。
- 作者: 高橋源一郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/04
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女子会の覗き見気分で
小説ばかり読んでいたので、たまにはエッセイを読みたくて、選んだのが山本文緒『日々是作文』。
著者が31歳から41歳になるまでの約10年間に雑誌などに書いたエッセイを集めた本だ。
さばさばしていて、あっけらかんと自分をさらけ出している、という印象を持った。恋の話、モテるとは何か、本の話や猫のこと……共感したり、驚いたり、何だか肩の力が抜けて、女同士の打ち明け話を聞いているような親近感で読んだ。
セックスの一番の効用は、そうして社会から切り離され、社会での役割を忘れ、本来人間はただの動物だということを思い出し、人肌の気持ちよさを無心に味わい、お互いがお互いを好きならば、労(いたわ)りあい思いやりあい、鳥の巣みたいに小さくても、そこに二人だけの絶対安心な場所を作り上げることができるからじゃないでしょうか。
いつかは飽きるとか、今は優しいけど男ってものはそのうち浮気するとか、そういう邪心で一瞬の幸福に水を差して楽しいでしょうか。それがつまり頭でっかちっつーことです。
そ、そうですか_(^^;)ゞ。臆病なだけなんだけどなー。とはいえ、ときたま「ただの動物」に戻るっていうのも大事なことでしょうね。
- 作者: 山本文緒
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2012/09/20
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- 出版社/メーカー: 文藝春秋
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孤独にも型があるのだろうか。
感情ってどこから生まれてくるんだろう。例えば、母性愛なんかは子どもができたらごく自然におこるって思っていたんだけど、この本のなかで話し手たちはそれと違う意見を持っている。
内田樹×名越康文×西靖『辺境ラジオ』は、ラジオ放送を書き起こした本なのだが、精神科医の名越康文は次のような発言をしている。
実は「自然に愛情が湧いてくる」とか「親子なんだから情は通い合うもの」という考えは絶対に違う。そうではなくて、ある「型」にはまる、もしくは「型」を演じることで、初めて内発的なものが生まれる。
思想家の内田樹もこれに同意する。「感情は外部から入ってくる」と。
つまり、親という「型」を演じていると感情が後からついて出てくるというわけだ。茶道など「型」のある儀式的なものをやると、自然と気持ちが落ち着いてくることがある。そんなことなのかなぁ。
今日、私はふと孤独を感じたのだけども、それにもやはり型みたいなものがあるんだろうか。家で一人でいて、何をする気も起きず、自分自身に目を向けるという「型」。あるいは、仕事帰りの人であふれかえる駅周辺で、ただ歩いているだけの自分を意識するときに起こる孤独も、「何の役割もない、ただそこにいるだけの自分」という「型」にはまっているだけなのだろうか。
感情というのは成長していくものだ。ちょっとした思いがどんどん膨らんで、自分では抱えきれないとき、爆発する。もしも、感情が「型」から生まれるのなら、「型」を少しシフトすることで、負の感情というのはしぼんでいくはずだ。
自分が落ち込んだときに、少しだけ、「型」というものを意識して、崩してみようかなと思う。
- 作者: 内田樹,名越康文,西靖
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しばらく引きずるときもある
男性だからとか女性だからと一般化するのは良くないと思っている。ただ、私が読んできた中では、女性の作家が書いたものの方がずしりと重いものを私に残し、しばらくその重石が取れなくなることが多い。
男性で言えば松本清張などが似たような重石を投げてくる。そういうときは、その石が軽くなるまで、その作者の作品は読めなくなってしまう。
男性作家のものが軽薄だというわけでなくて、重さの種類が違うのだ。どう説明していいのか、わからないのだが、身体にずしんと来ちゃうか頭で消化できるかの違いというか。濃縮された闇に捉えられそうなぞわぞわした感じが毒々しいほどに残ることがあるのだ。
だからだいたい、私は女性作家の本を読んだら、次は男性作家の作品を読むことが多い。でも、今回、女性作家ばかりからなる短編集を手に取った。『甘い罠ー8つの短編小説集』だ。書き手は、江國香織、小川洋子、川上弘美、桐野夏生、小池真理子、高樹のぶ子、高村薫、林真理子。
この中では、高樹のぶ子の「夕陽と珊瑚」が比較的重い感じがした。どういうのが重いかというと、業を感じるもの、見たくない人間の本性を見せるものといったところだろうか。
例えば、高村薫の「カワイイ、アナタ」の中の一節。
私から逃げていく彼女たちは、揃いも揃って男の企みを見透かしているに違いない。色情に満ちた夢想を嗅ぎつけているに違いない。ああいや、ひょっとしたら彼女たちは自分が男の夢想にふさわしい無垢な生きものでないことを知っていて、それを見抜かれる前に思わせぶりに逃げていくのかもしれないーー。
この最後の一文などはちょっとドキリとしませんか?まぁ、これはさほど重い方とは言えませんが。
今回は短編なのもあって、しばらく読まないでいようと思うほどの重石は残らなかったけれど、それぞれの力量を感じさせる作品群でした。ただ、わざわざ書くこともないのですが、林真理子さんのは生々しい性描写が多くて、私にはちょっと苦手な種類の文章でした。
物語のリアリティー
本を選ぶときはタイトルに惹かれたりする場合もある。読んだことのない作家だと特にタイトルで手に取ることが多い。
中村文則『去年の冬、きみと別れ』もそんな小説の一つだった。
中村文則は推理小説家だ。けれど、タイトルはそれっぽくなく感じて興味を持った。ミステリーが嫌いなわけでなく、ちょっと変わったミステリーが読めるかもという期待を持ったのだ。
結論から言うと、すごく構成が斬新で読みごたえのある作品だった。
この小説には複数の「僕」が登場する。だから、物語の後半で描かれる以下の部分を引用してもネタバレにはならないだろう。
僕はね、あの瞬間、化け物になってしまったんだよ。あの時、僕の身体が、自分から遠く遊離していくように思えた。僕が、僕から静かにずれて消えていく。その漠然とした恐怖を感じた瞬間、身体が拒否するように震えて、でも自分が今震えたと思ったときはもう、意識がどこかに落ちていくように冷えていた。僕に似た僕をあとに残していくことへの恐怖は一瞬のことだった。意識のバランスを保つブレーキのようなものを、もう感じることができなかった。
リアリティーのある文章だと思った。この本のなかに「芸術とは一種の暴露である」というセリフもあるけれど、推理小説の中でリアルを感じさせるには、丹念な取材の他に犯人の気持ちの模倣だけでない、作者自身の闇の開示・肥大化も必要なのではなかろうか。そして読者も自分の闇を意識して初めてリアリティーを感じるものだと思う。
- 作者: 中村文則
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
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- 作者: 中村文則
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