あるカウンセラーのひとりごと
僕の名まえは兎田ぴょん。職業はカウンセラーだ。
ウサギの話を聞くのが仕事。恋の悩みや仕事の愚痴や家族の悪口、それから「死にたい」まで、何でも聞く。時には殴られるんじゃないかというくらい怒ってるウサギもいる。
でも、僕はそんなウサギたちが嫌いではない。どんな話にもそのウサギなりの真実と切実さがあって、僕はそのことで毎回新たな気づきをもらっている。
もちろん、「死にたい」と言われたときはとても困る。僕は正直に「こまりましたね」と言って黙りこむ。「死にたい」はとても固い壁に囲まれていて、僕としては時間をかけてコツコツと少しずつ壁を削っていくしかない。
とても厚い壁のときは、小さい空気穴しか作れないこともある。もちろん、壁の中にいるウサギにも協力してもらわなきゃ何事も進まない。
まずは、自分が暗い壁の中にいることを感じてもらう。そして、外に出れば吹きすさぶ風もあるけれど、たまには太陽が顔を出すことを思い出してもらって、「(また壁の中に入ってもいいけど)とりあえず外でひと息つきませんか」と声をかけてみる。
ほんのちょっとだけ荷降ろしすることしかできないけれど、出入口ができれば壁は安全な居場所に劇的に変化する。そこで、充分休んで欲しいなと思う。
僕に力があるわけじゃない。ウサギ自身が持っている本来の脚力があるのだ。僕が耳かき程度しか壁を削れなくても、ウサギは今まで必死でもがいていた先を、壁に向け直してホリホリしてくれる。
僕がカウンセラーを続けていられるのは、ウサギの力を信じているからなんだと思う。だから、僕の目指すものは「カウンセリングなんて何の役にもたたない」と言われることだ。カウンセラーができるだけ目だたない存在でいられれば一番いいと思う。
「先生のおかげです」なんて言われるのは真っ平ごめんだし、そういうのはウサギの本当の逞しさが引き出せてないってことだから。だからここだけの話、こそっと言うんだけど「私に任せなさい」なんていうカウンセラーはインチキだって僕はおもっている。
作家・中島らもさんと
過去、数年間毎日夜になるとお酒を飲んでいたことがある。ひどく落ち込んでいて、つい頼ってしまっていた。お酒というのは毎日飲んでいると、もうあまり酔わないというか、酔っている感覚が鈍くなって、ウィスキーをストレートでぐいぐいいくようになる。
あるとき、思い立って毎日飲むのを止めた。もういいや、と思ったのだ。本来はあまりアルコールに強くないし、冷めるときに節々が痛くなったりする。
アルコールといえば、私の好きな作家に中島らもさんという人がいる。朝日新聞に連載してた『明るい悩み相談室』、アルコール依存症の体験を元にした『今夜すべてのバーで』、直木賞候補になった『ガタラの豚』、その他エッセイ多数、脚本に落語……本当に楽しませてもらった。
らもさんは、躁鬱病でもあって、薬の副作用でふらふらしたり目が見えにくくなったりしていた。それでも、らもさんはそれもやっぱりネタにしていた。
だから、らもさんが飲んだ帰り道、階段を踏み外して亡くなってしまったというニュースを聞いたとき、物凄くあり得そうだけど、でもきっとらもさんの冗談だと思った。
「死んだらどうなるかと思てぇ、やってみてん」と照れ笑いを浮かべながら、復活トークライブでもやるんじゃないかと本気で思っていた。亡くなってから、もう、今年の7月で13年になるんだなぁ。
らもさんはいわゆる違法ドラッグなんかを自分で試してみて、その効果や弊害を本に書いたりしていた(例えば『アマニタ・パンセリナ』)。その流れで捕まってしまったこともある(その顛末は『牢屋でやせるダイエット』に詳しい)。
一度、新宿のトークライブに行ったときに、楽屋に引き上げるらもさんとすれ違ったので、「マリ○ナって鬱に効くんですか?」って聞いたら、いつものゆるゆるな感じで「効くよ~」と言っていた。今となっては、もう笑い話の懐かしい思い出だ。
中島らもの特選明るい悩み相談室〈その1〉ニッポンの家庭篇 (集英社文庫)
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たまにはこういうこともある。
詩人というと、通常と異なる人種のように思われるだろうか。私には、詩を書く友人が複数いる。詩のなかでは激しく逸脱するけれど、普段の会話はとりたてて変わったところはない。当たり前に挨拶するし、冗談も言い合う。
ある程度の繊細さは持っているだろう。言葉に対する感覚も鋭敏だと思う。ただ私は、人間はみな、どこか狂っていると思っているからか、詩人が際立って変り者だとか無頼とは思わないのだ。
ねじめ正一『荒地の恋』に出てくる田村隆一と、その妻と恋に落ちる北村太郎は実在した荒地派の詩人である(ちなみに著者も現代詩人)。物語の始まりでは、二人は五十代前半。
田村は妻・明子と北村の関係を知りながら、北村には面と向かって何も言わない。家に北村を呼んで明子と三人で仲良く飲んだりする。北村の方も呼ばれれば行くし、特に謝るわけではない。かといって結婚制度を否定するような信念があるわけでもない。登場人物のなかで、一番素直に感情表現できているのは、何の躊躇もなく浮気を打ち明けられて逆上する北村の妻である。
北村はそんな状況のなか、妻をなだめるため添い寝して頭を撫でながら寝かしつけたりする。その一方、今までになく詩をたくさん書く。北村がそれまであまり詩が書けなかったのは、まっとうな家族との暮らしがあったためだという意味の記述があって、私は少しあきれる。
前半はそんなふうに、ところどころ引っかかって物語世界に没入できなかった。
なんというか、詩人なんだから感じたまま突っ走って当たり前だ、仕方がないといわんばかりに、北村の田村に対する後ろめたさも(あるいは刺されても仕方ないという覚悟も)、家族を捨てるときのためらいもほとんど描かれておらず、事実の羅列に終始していて、物語の奥行きが感じられない。
後半になると北村の心象風景が徐々に結ばれてくるが、田村に関しては本人が登場する場面が全くない。そして、相変わらず、さしたる葛藤もなく別れたり新たな恋に落ちたりしてるという印象が拭えない。人を好きになるという熱い情念とか狂おしいほどの苦悩が今一つ伝わってこないのである。
また時を経て読んだなら、違う感じ方もできるだろうか。私の虫の居所でも悪かったのかなぁ。
小説を書くというのは大変なご苦労があると思うので、本当に申し訳なく思う。ねじめ正一さん、ごめんなさい。
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この小説は、豊川悦司主演でドラマ化もされているので、ドラマの脚本や演出でどう変わっているのか、見てみたい気もする。
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翻訳って奥が深いんですね。
前に、村上春樹の翻訳は村上春樹臭が漂っていて……とか書いたのだけど、
【本の記録・感想】ふと再会してみたくなる - kai8787の日記
それは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の冒頭を読んだだけの印象だったので、トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』を村上春樹の翻訳で読んでみた。
すんなり入ってくる。わかりやすい。翻訳でこんなに違うものなのかとびっくりした。
例えば、この部分。語り手の「僕」とヒロインのホリー・ゴライトリーの会話。
瀧口直太郎訳(太字は傍点を表す)
「あのブルースと同じやつだろう?」(訳注 ブルースは「青」にかけて。他に「憂鬱症」の意味もある)
「ちがうわ」と彼女はゆっくりいった。「ブルースはお腹があんまりいっぱいになったり、雨が降りすぎたりすると起るのよ。ただ哀しいだけのこと。ところが、あのいやな赤ときたら、まったくぞっとするわ。何かに恐れ、汗水流して働くんだけど、いったい自分が何を恐れているかわかんないのね。何か悪いことが起るってこと以外には、なんにもわかんないのよ。あんたもそういう気持味わったことある?」
村上春樹訳
「それはブルーになるみたいなことなのかな?」
「それとは違う」と彼女はゆっくりとした口調で言った。「ブルーっていうのわね、太っちゃったときとか、雨がいつまでも降り止まないみたいなときにやってくるものよ。哀しい気持ちになる、ただそれだけ。でもいやったらしいアカっていうのは、もっとぜんぜんたちが悪いの。怖くってしかたなくて、だらだら汗をかいちゃうんだけど、でも何を怖がっているのか、自分でもわからない。何かしら悪いことが起ころうとしているってだけはわかるんだけど、それがどんなことなのかはわからない。あなた、そういう思いをしたことある?」
ねっ。すごく違うでしょ。もう別もの。これはやはり時代背景というものもあるのでしょうね。現代語が英語に近づいているってこともあるし。後の解説によると、瀧口直太郎訳の初刷が1960年、村上春樹訳は2008年だそう。でも、違う翻訳者で読み直してみるというのも、おもしろいですね。
今度、村上版「キャッチャー・イン・ザ・ライ」も読んでみようかな。
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この本には表題作のほか、以下の短編も収録されている。賑やかな娼家からひっそりとした山の中に駆け落ちする「花盛りの家」、囚人たちの日常が描かれる「ダイヤモンドのギター」、すごく年の離れた親友との切なくあたたかい「クリスマスの思い出」。どれも読みごたえがある短編だが、私は「クリスマスの思い出」が心に残った。
都市の迷路に立つ
ニューヨークには行ったことがない。随分前、ボストン、プリンストン、ミネアポリス、ロスには行ったことがある。アメリカの印象は一言で言うと “るつぼ” (人種のことだけじゃなく)だ。
でも、私の見たアメリカはほんの一部のホワイトカラーの世界だし、二週間の出張で東から西へと足早に通り過ぎただけの上っ面の旅だった。ワーカーホリックの頃の遠い思い出である。
ポール・オースター『ガラスの街』は、ニューヨークを彷徨うということのリアルを描いている。様々な人間の浮浪する姿が通りや交差点の名前とともに通り過ぎていく。
探偵小説を書いている小説家クインは間違い電話をきっかけに探偵になる(探偵といっても、この本はもちろんズバリ犯人はこいつだというミステリー小説ではない)。ある人物を何日も続けて尾行することで、次第に街と同化していくクインの姿が、ニューヨークという混沌に消えていく錯覚に見舞われる。
クインは様々な様態で街を歩く。散歩し、尾行し、彷徨い、ボロボロに憔悴するまで路地に潜む。こういうスタイルの小説を読むと異空間にもぐり込める。そういう現実と遊離した時間がたっぷり楽しめる作品だ。
読後しばらく、ニューヨークの路地で立ちすくむ自分がいた。
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関連エントリー
暗闇を語ることー希望 - kai8787の日記
花言葉の物語~ハナニラ
久しぶりの散歩の途中で、斜面に咲くハナニラの群生を見つけました。ハナニラはとても可憐で透き通るような花の白が清楚だなと思いました。
でも、ハナニラの花言葉は、悲しい別れ、耐える愛、卑劣、恨み、星に願いを。なかなか凄いラインナップですね。
この花言葉を使って物語を書いてみます。
あの人とつき合い始めて、もう3年になります。お互い仕事も忙しくなかなか会えませんが、頻繁にLINEでやりとりしてるので寂しくはありませんでした。
彼は取引先の営業マンで、私の会社にもよく出入りしており、そんなときは二人にしかわからないサインで合図しあうのです。今夜デートできるかどうか確かめ合うのにもドキドキしていました。
ある日、資料を届けに彼の会社まで行くことになり、私はウキウキして電車に乗りました。築地駅から少し歩いたところにある彼の会社の前にはちょっとした遊歩道があって、私の背の高さほどの植え込みが迷路のようになっていました。
広い真っ直ぐな車道脇の歩道もあるのですが、私はそのくねくねした遊歩道を歩くのが好きでした。
ふと、聞き覚えのある声が後ろから聞こえてきました。あの人です。かわいがってる後輩の清水さんと一緒に会社に帰るところみたいで、私と緑のカーテンを隔てて並んで歩くような形になりました。
「先輩んとこ、今度2人目いつ生まれるんでしたっけ?」
「あぁ、あと一ヶ月きった」
「楽しみですね」
「まあな」
今のは聞き間違い、それとも人違い、そう、そんなはずがない。彼に家庭があるだなんて。あまりのことに驚いて立ち止まっていた私は、急いで緑道を抜け、彼らに追いつきました。
彼でした。振り向いた彼の顔に怯えたような陰をみとめて私は悟りました。私は騙されていたのです。手をぎゅっと握ってわなわな震える私に、彼は何事もなかったかのように接しました。いつものように他人行儀に。
一人になった私は、彼の卑劣を恨みに思うより、悲しい別れの予感にたじろいている自分を知って驚きました。。
「私、別れたくないの」
そうつぶやいてみると、そこには耐える愛が横たわっています。<別れるか耐え忍ぶかソレガ問題ダ>、他人事のようにそんな文句が頭に浮かびました。まさか自分がこんな状況になるなんて、3年もまるで気づかなかったなんて、現実のこととはとても思えなかったんです。
「会いたい」「説明させてくれ」
あの人からのLINEが現実をつきつけてきます。私はスマホを裏返して夜空を見上げました。星に願いをかけられるものなら、私は今日を忘れたい。あの人の不実をきれいさっぱり流してしまいたい。
今日もあの人はさりげなくサインを送ってきます。私は立ち上がってひっぱたく代わりに、星に新たな願いをかけました。
微妙な距離ー男女の友情そして恋
男と女の友情には、ほどよい距離感が必要だと思う。性的にドライなところがないと続かないのは当たり前として。相手の異性を感じない程度の距離感。二人でお酒を飲んだとしても、「じゃあな」と別れるくらいのさっぱりした関係。
絲山秋子『沖で待つ』のなかで、主人公は同期入社の「太っちゃん」と、お互いに人に知られたくない秘密がばれないよう、自分が死んだあとに証拠を消去し合う申しあわせを交わす。
約束をする前に「太っちゃん」は別の同僚と結婚していたし、二人は転勤して他の場所で働いていて、しばらく経っての二人飲みの席でのことだった。
何故そんな協約を結んだかというと、お互いにそこまで相手に興味がないはずで、中身を見ないという信頼感が持てるから。
このくらいの距離感があると、友情って成立するのかもしれないなと思う。でも、それが秘めたる恋心に変わるのはほんの1cmのことかもしれない。友だちから恋人へ、恋人から友だちへ、人の気持ちはうつろうものだ。
思えば、恋というのは不思議な現象である。いったい何が発火点になるのか、さっぱりわからない。あの人のここがいいとかっていうのは、後からくっつけた理由で、好きになる瞬間はもう凄く感覚的なものなのだ。だから、どんな欠点があっても何だかんだと突き放せなくなる。それは友だちも一緒か。
恋はもう究極の妄想なのだ。理屈じゃなくて、落ちちゃうもの。ブレーキが効くか効かないかはあるけれど。
恋を秘められるようになったら、大人なのかもしれませんね。
- 作者: 絲山秋子
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この本には、他にも「勤労感謝の日」という短編も載っている。36歳、独身、無職の女性のとある「いーことなんかあるわけないじゃん」な一日を切り取っていく。主人公の心のなかの軽妙なツッコミがおもしろかった。