冬眠人間
あんまり人に会わないでいるのもどうかと思い、今日は(もう昨日か)がんばって、とある集まりに出かけた。
やっぱり一時間くらいで、ヘトヘトに疲れてしまう。人と話すって(主に聞いてる方だったのだが)、何てエネルギーのいることなんだろう。中座して1人で一時間ほど休憩して、また戻って一時間くらい話をして別れた。
元気になるきっかけになるかと思ったけど、家にたどり着くまでがしんどくて、もう先ほどまで爆睡。集まりに行くのはまだ早かったなぁと思った。まぁ、しょうがない。焦らないでいこう。回復は一直線にはいかない。少しずつ疲れ方が落ち着いてくるまで待とう。こうして挑戦することだって悪いことじゃあないし、自分の回復具合を確認できたんだから良しとしよう。
 ̄(=∵=) ̄「春になったら元気になるよ。今は冬眠してると思えばいい。人間の中にも冬眠が必要な人もいるのさ」
微妙な感覚の切断
ノートにシャープペンで字を書こうとすると指先に力が入らなくて書けないという現象が起きている。スマホやお箸は持てるのに。一体どうしたものだろうか。
シャープペンを見つめて、これはお箸だと念じてみる。ついでに、ノートを白いご飯だと思って、さぁ食べようと書き始める。と、指先が震えてしまってダメなのだ。
不思議な事があるものである。でも、実は、私にはときどき起こる。学生のころ試験の最中にもなって困ってしまった。それにしても、こんなに頻繁に起こったことはないので、今もちょっぴり困っている。
時間が経てばしびれが取れてくるはずなのだけれど、今回はしぶとい。深層心理とやらで、書くことを拒んでいる?ってことなら、こんな風にスマホは打てないだろう。左手で打ってるからかなぁ。右手だとちょっとホロホロする。ホロホロというのは、足がしびれて直るときの、あのくすぐったいような感覚で、微妙に気持ち悪い。
何か強いストレスが起きたとき、私はうさぎ体質なので全身痺れてしまうのだけれど、今は珈琲を飲みながら寛いでいるところなのだ(ついでに白玉あんみつも食べている)。
何かがコンセントレートしてない。切れている。以前病院にも行ったけれど、わからず仕舞いだった。一番納得した医師の言葉は「病気とは言えないくらいの脆弱なところがあるのでしょう」だった。
私の手くらいは大したことではないのだけれど、こういう境界で起きてることは、人に理解されなくて辛い時がある。例えば、視覚に障害のある人にも色々なタイプがいて、全盲でなく中心部だけ見えない人もいる。もちろん白杖を持つのだけれど、「おまえ見えてるだろ!」と怒られることがあるそうだ。そういうのは、とても辛いと思う。
決めつけは恐ろしく人を傷つけるので気をつけたい(自戒もこめて)。白か黒かじゃなくてグラデーションで物事を捉えるクセをつけるといいのかもしれない。
妄想旅行
今日は一日臥せっていた。天井を見ながら、電車に揺られて旅をすることを夢見た。
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海辺を走る電車で駅弁を食べながら、今日泊まる宿をスマホで探して、適当な駅で降りる。
1人で街を少し歩いて、見覚えのない喫茶店でぼんやりする。少し寂しさを感じて、本屋で読んだことのある本を買ってしまう。
チェックインした冷たく白いビジネスホテルのベッドの上に、お守りみたいにその本を置いてみる。
夕食は街に出て、日本酒にお蕎麦で済ませる。実は日本酒を飲むと後が厄介なのだけれど、飲んでしまう。
蕎麦湯を頼んだころにふと思いついてノートを買いたくなる。コンビニがあるのだけれど、先ほど立ち寄った本屋さんの片隅に売っていたなと思う。
もう一度本屋さんに行きたかっただけかもしれない。本がきちんと並んでいるのを見ると何だか落ち着く。本の香りもほんのりして。
そういえばビジネスホテルのシングルルームって、うさぎ穴みたいだなぁ。ちょっと日常から遠ざかった、おひとりさま用の穴。
そんな風に考えたら、何だか部屋に帰るのが楽しみになって、小さいノートを手にふわふわ歩く。
新しいノートを開いて何か書き始めるときにはいつも少しだけわくわくする。
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いいなぁ、旅。
期待されるということ
人に期待を寄せられたとき、素直に張り切ってがんばれるときと、プレッシャーに感じて負担に思うときがある。
信頼してくれた相手に応えたいと、与えられた課題を果たせば達成感が得られ自信につながる。
けれど、課題が自分にとって難しく感じてどう解きほぐしていいのか見当がつかなかったり、相手をがっかりさせたくなくて無理をしたりしていると、期待が重圧となってのしかかる、
わからなければ聞けばいいし、無理であればそう言えばいいのだけれど、期待してくれる相手に簡単にそう切り出せなかったりして。
それは、~しなければがっかりさせてしまうとか、~くらいできると思ってくれてるに違いないというように、自分でハードルを思いっきり上げているからだ。つまり、勝手に相手の期待を想像して膨らましてしまっている状態。
 ̄(=∵=) ̄《自分の背丈以上のことをやろうとしちゃダメなんだね。私は背の届くとこの草しか食べないよ》
そう欲張ってしまうんだよね。良く思われたくて。それと、この人は私のこと信頼してくれてると思うと何でも自分でやりたくなっちゃう。
ありのままに、自分の得意なことはやればいいし、できないことはできる人に教えてもらうか頼めばいい。それは恥ずかしいことなんかじゃないし、評価が下がるわけじゃない。
心が強くふるえるとき
感じ易いって面倒なことなのか
ときどき自分が凸レンズになったように人の言葉や目線が気になることがある。自意識が破裂しそうにパンパンになっている状態。それって四六時中まだ告白してない好きな人の前にいるときみたいに、長時間に渡ると疲れてしまう。
 ̄(=∵=) ̄《そういうときは暗くて狭い穴にいるといいよ》
そだね。そういうとこが落ち着くね。あんまり辛い時は、感覚を遮断できる場所があると助かる。
だけど、そういうときって小説の一節にとても感動したり、絵画の言葉が聴こえてきたりして素晴らしい体験をできるときでもある。
ぐさっときて傷つくことと、震えるほど感動することって、実はコインの表と裏で、繋がっているんだなぁ。
だから、色々考え過ぎないで自分の気持ちを見つめてみるのがいいかもしれない。「あっ、私、今悲しいんだな」「センチメンタルになってるな」「ドキドキして焦ってるな」
長引いて辛い時は、人がどう思うか、じゃなくて、自分がどんな状態なのかを静かに見つめていると、ピリピリしてる神経が少し安心するように思う。
日なたぼっこしながら、ゆっくり温かいお茶を飲むみたいに。